タタ (ハンガリー)
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タタ Tata | |||||
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タタ城址 | |||||
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位置 | |||||
タタ郡の位置 | |||||
座標 : 北緯47度39分9.36秒 東経18度19分25.68秒 / 北緯47.6526000度 東経18.3238000度 | |||||
行政 | |||||
国 | ハンガリー | ||||
県 | コマーロム・エステルゴム県 | ||||
郡 | タタ郡 | ||||
タタ | |||||
市長 | Michl József | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
域 | 78.17 km2 | ||||
標高 | 140 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2010年現在) | ||||
域 | 24,906人 | ||||
人口密度 | 316.75人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
公式ウェブサイト : http://www.tata.hu/ |
タタ(ハンガリー語: Tata、ドイツ語: Totis、ラテン語: Dotis)は、ハンガリー、コマーロム・エステルゴム県の都市。
地理
[編集]ブダペストの西約67kmにあり、キシャルフェルド(ハンガリー語で小さな平原)の北部にあたる。ゲレチェ山脈とヴェールテシュ山地の近くにあり、スロバキアとの国境をなすドナウ川のすぐ南側にある。
都心はエレグ湖の北岸にあり、一帯は『ハンガリーのトスカーナ』と呼ばれる湖沼地帯である。一帯の湖沼群および付近のフェンと沼地はカリガネ、アオガンなどのガン類の重要な生息地であり、1989年にラムサール条約に登録された[1]。
ブダペスト=ブルック・アン・デア・ライタ(オーストリア)間を結ぶ鉄道路線の駅がタタにある。
歴史
[編集]タタの定住地としての歴史は11世紀に始まる。起源はベネディクト会派の修道院であった。定住地の名が初めて現れたのは1221年である。ハンガリー貴族マッテウス・チャークが13世紀から1326年までタタを所領とし、城が湖に面して建てられた。ハンガリー王ジグモンド王時代、タタに都市憲章が授けられた。ジグモンド王はタタに宮殿を建設した。1467年から1472年にかけ、マーチャーシュ1世がルネサンス様式の城を設計した。
オスマン帝国のヨーロッパ侵攻の間、城は対トルコの軍事上の要所であった。1727年のトルコ撤退後、タタ城はエステルハージ家の所有となった。以後18世紀後半まで、エステルハージ家は所領を拡大し、当時の壮麗な建築物を建設するにいたった。
統計
[編集]2001年のタタ人口は23,937人で、その民族構成は以下のようになっていた。
姉妹都市
[編集]- アルクマール、オランダ
- ビストジツェ・ナド・オルシー、チェコ共和国
- ゲルリンゲン、ドイツ
- ダマリー=レ=リス、フランス
- アレンツァーノ、イタリア
- スヴォディーン、スロバキア
- モンテベッルーナ、イタリア
- ソヴァタ、ルーマニア
- ピンツフ、ポーランド
脚注
[編集]- ^ “Lakes by Tata | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017年3月10日). 2023年4月2日閲覧。