大島邦秀
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大島 邦秀(おおしま くにひで、天保14年(1843年)3月[1] - 1876年(明治9年)10月24日)は、江戸時代後期(幕末)の佐賀藩士。明治時代前期の官僚、陸軍軍人である。最終階級は陸軍中佐。位階は正六位。
経歴
[編集]くわしいことは不明だが、熊本県熊本市の花岡山官軍墓地にある大島邦秀の墓には、「長崎県士族・肥前国佐賀」とあるので佐賀藩出身と推測できる。
熊本鎮台砲兵営に所属していたが、明治9年(1876年)10月24日の神風連の乱において、熊本城の大兵営に駆けつけ、防戦したのちに戦死したという。
名に負う剣客であったという大島は、駆けつけた南坂で神風連の古田十郎、青木暦太と対峙し、善戦しているところを太田黒伴雄に胸を刀で貫かれたという。
脚注
[編集]- ^ 『百官履歴』下巻(日本史籍協会、1928年)p.54
参考文献
[編集]- 鈴木喬/監修『神風連資料館収蔵品図録』(神風連資料館、1987年)