ハミルトン・ボイル (第6代コーク伯爵)
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第6代コーク伯爵および第6代オーラリー伯爵ハミルトン・ボイル(英語: Hamilton Boyle, 6th Earl of Cork and 6th Earl of Orrery、1730年2月3日 – 1764年1月17日)は、イギリスの貴族、政治家。
生涯
第5代コーク伯爵および第5代オーラリー伯爵ジョン・ボイルの次男(長男は1759年没)として[1]、1730年2月3日に生まれた[2][3]。1748年6月14日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1755年にB.C.L.の学位を修得、オックスフォード大学総長補佐の任期(1762年 – 1764年[2])中の1763年7月6日にD.C.L.の学位を授与された[4]。
1759年から1760年までチャールヴィル選挙区のアイルランド庶民院議員を務め[1][3]、1761年イギリス総選挙でウォリック選挙区から出馬して当選した[2]。ただし、グレートブリテン庶民院で発言した記録はなかったという[2]。
1762年11月23日に父が死去すると、コーク伯爵とオーラリー伯爵の爵位を継承した[1]。しかし自身も1764年1月17日に未婚のまま死去したため、異母弟エドマンドが爵位を継承した[1]。
脚注
- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 473.
- ^ a b c d Brooke, John (1964). "BOYLE, Hamilton, Visct. Dungarvan (1730-64)". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月9日閲覧。
- ^ a b "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" (英語). Ulster Historical Foundation. 2019年6月9日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Stermont-Synge. p. 147.
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は無視されます。 (説明)
アイルランド議会 | ||
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先代 ジョン・ライサグト エドワード・バリー |
庶民院議員(チャールヴィル選挙区選出) 1759年 – 1760年 同職:エドワード・バリー |
次代 エドワード・バリー リチャード・ロングフィールド |
グレートブリテン議会 | ||
先代 ヘンリー・アーチャー ジョン・スペンサー |
庶民院議員(ウォリック選挙区選出) 1761年 – 1762年 同職:ヘンリー・アーチャー |
次代 ヘンリー・アーチャー ポール・メシュエン |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ジョン・ボイル |
コーク伯爵 1762年 – 1764年 |
次代 エドマンド・ボイル |
オーラリー伯爵 1762年 – 1764年 |