マンシージャ・デ・ラ・シエラ
1960年に貯水池の底に沈んだ旧集落の廃墟 | |
州 | ラ・リオハ州 |
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県 | ラ・リオハ県 |
コマルカ | アンギアーノ |
面積 | 84.76 km² |
標高 | 947m |
人口 | 71 人 (2015年) |
人口密度 | 0.84 人/km² |
北緯42度09分12秒 西経02度56分42秒 / 北緯42.15333度 西経2.94500度座標: 北緯42度09分12秒 西経02度56分42秒 / 北緯42.15333度 西経2.94500度
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マンシージャ・デ・ラ・シエラ(スペイン語: Mansilla de la Sierra)は、スペイン・ラ・リオハ州のムニシピオ(基礎自治体)。ラ・リオハ州西部にあり、コマルカ(郡)としてはアンギアーノの構成自治体のひとつである。面積は84.76km2であり、2015年の人口は71人だった。
中心部の標高は約950m[1]。ナヘラまでの距離は43km、州都ログローニョまでの距離は72km[1]。ウシ・ヒツジ・ヤギなどの牧畜が主産業である[1]。
歴史
[編集]かつての集落は現在の場所から300m南にあった。1900年には585人の人口があり、10,000頭以上のウシが飼育されていた[2]。バルセロナ出身の小説家であるアナ・マリア・マトゥテは、幼少時代に祖父母とマンシージャの旧集落で夏季を過ごした。1935年にはダムの建設が計画され、スペイン内戦などで25年以上計画は中断していたものの、フランコ政権下で灌漑や発電用のダムが建設された。1940年には591人、1950年には490人の人口があったが、1958年冬には貯水が開始され、1960年にはマンシージャの集落がマンシージャ貯水池の底に沈んだ[3]。多くの住民はマンシージャを離れ、1960年の人口は149人となった。
1959年には現在の場所にマンシージャ・デ・ラ・シエラ地区が建設された。貯水池の水量は9月から10月に最小となり、貯水池の底から教会や建物の残骸が現れる。貯水池の水はナヘリリャ川となって北北西に流れ、アンギアーノ、ボバディーリャ、バーニョス・デ・リオ・トビア、ナヘラなどを通った後に、トレモンタルボでエブロ川の本流に注いでいる。今日の自治体はマンシージャ・デ・ラ・シエラ地区とタブラーダス地区で構成される。
人口
[編集]マンシージャ・デ・ラ・シエラの人口推移 1842-2011 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[4]、1996年 - [5] |
政治
[編集]任期 | 首長名 | 政党 |
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1979–1983 | Antonio Matute Medel | 民主連合(CD) |
1983–1987 | José Mª Peña González | PSOE |
1987–1991 | José Mª Peña González | PSOE |
1991–1995 | José Mª Peña González | PSOE |
1995–1999 | José Mª Peña González | PSOE |
1999–2003 | José Mª Peña González | PSOE |
2003–2007 | José Eduardo Losa Matute | PP |
2007–2011 | José Manuel Ballesteros Pablo | PSOE |
2011–2015 | José Manuel Ballesteros Pablo | PSOE |
2015–2019 | José Manuel Ballesteros Pablo | PSOE |
2019–2023 | n/d | n/d |
2023– | n/d | n/d |