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第62師団 (日本軍)

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第62師団
創設 1943年(昭和18年)5月1日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 華北-沖縄本島
編成地 華北
通称号/略称
補充担任 京都師管京都師管区
最終上級単位 第32軍
最終位置 沖縄本島
戦歴 太平洋戦争
(大陸打通作戦)
(沖縄戦)
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第62師団(だいろくじゅうにしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1943年5月、独立混成第4旅団と独立混成第6旅団の一部により山西省太原で編成された治安師団である。編成後、第1軍に属し山西省東部の警備に当たった。1944年(昭和19年)3月、大陸打通作戦の京漢作戦に参加した。

1944年8月、第62師団は沖縄に転用され第32軍に属した。1945年(昭和20年)4月からアメリカ軍嘉数の戦いなど激戦を続けたが、ついに同年6月22日、沖縄本島南端の摩文仁において藤岡師団長が自決し戦闘を終えた。

師団概要

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歴代師団長

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  • 本郷義夫 中将:1943年(昭和18年)6月10日 - 1945年3月1日[1]
  • 藤岡武雄 中将:1945年(昭和20年)3月1日 - 1945年6月22日自決[2]

参謀長

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  • 上野貞臣 大佐:1943年(昭和18年)6月10日 - 1945年6月22日自決[3]

最終司令部構成

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  • 参謀長:上野貞臣大佐
    • 参謀:北島之等之中佐
    • 参謀:楠瀬梟師少佐
  • 高級副官:原研介中佐
  • 軍医部長:福田純軍医中佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第63旅団(敦賀):中島徳太郎中将
    • 独立歩兵第11大隊(敦賀):三浦日出四郎中佐
    • 独立歩兵第12大隊(敦賀):賀谷與吉中佐 米軍上陸直後から遊撃戦により戦果をあげた殊勲大隊。
    • 独立歩兵第13大隊(京都):原宗辰大佐 嘉数高台を守備した主力部隊。現在の嘉数公園には京都の碑が建立されている。
    • 独立歩兵第14大隊(京都):内山幸雄大尉
  • 歩兵第64旅団(京都):有川主一少将
    • 独立歩兵第15大隊(京都):飯塚豊三郎少佐 愛媛県で編成された部隊。伊祖を守備し、澤岻で壊滅。
    • 独立歩兵第21大隊(敦賀):西林鴻介大佐
    • 独立歩兵第22大隊(敦賀):磯崎璣大佐
    • 独立歩兵第23大隊(敦賀):山本重一少佐
  • 第62師団通信隊:砂川玄一郎大尉
  • 第62師団工兵隊:金木徳三郎少佐
  • 第62師団輜重隊:杉本秀義少佐
  • 第62師団野戦病院:熊倉寛少佐
  • 第62師団病馬廠:小川昌美大尉

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』309頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』298頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』427頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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