谷田村
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やだむら 谷田村 | |
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廃止日 | 1932年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 木崎村(大字北袋除く)、谷田村 → 浦和町 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.55 km2. |
総人口 |
3,755人 (国勢調査、1930年10月1日) |
隣接自治体 | 埼玉県:北足立郡浦和町、六辻村、木崎村、三室村、尾間木村、芝村 |
谷田村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡谷田村大字太田窪[1] |
座標 | 北緯35度51分35秒 東経139度40分33秒 / 北緯35.85983度 東経139.67592度座標: 北緯35度51分35秒 東経139度40分33秒 / 北緯35.85983度 東経139.67592度 |
ウィキプロジェクト |
1932年(昭和7年)4月1日に浦和町に編入され、消滅。旧村域は「谷田地区」と称された。
地理
[編集]- 埼玉県中央(北足立)地域の南部にあった。
- 大宮台地の南端部に位置し、台地とそれに挟まれる谷地からなる。
- 2006年(平成18年)現在における南区東部の大谷場、大谷口、広ヶ谷戸、円正寺、南浦和(4丁目を除く)、南本町と緑区西端部の原山、及びこれら2区の境にまたがる太田窪、浦和区の前地1・2丁目がほぼ旧村域にあたる。
- 上記の範囲の2006年1月1日現在の人口は、73,069人である(「埼玉県町(丁)字別人口調査」による)。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して大谷場、太田窪、大谷口、広ヶ谷戸、円正寺と原山新田の五箇村一新田が合併し、北足立郡谷田村が成立[2][1]。村名は大谷場・大谷口の「谷」と太田窪の「田」からとった合成地名。
- 1889年(明治22年)5月 - 町村制施行に伴い、太田窪学校が谷田学校(現、さいたま市立谷田小学校)と改称。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 同郡木崎村(大字北袋を除く)と共に浦和町へ編入され[2][3]、消滅。
- 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となる[2][3]。
- 1961年(昭和36年)7月1日 - 旧村域の西端部に京浜東北線南浦和駅が開設される。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市と与野市・大宮市との合併によるさいたま市の成立により、旧谷田村域もさいたま市となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市の政令指定都市移行に伴う区制の施行により、原山と太田窪の北部が緑区に、前地が浦和区に、それ以外の地域が南区に編入される。
脚注
[編集]- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』868頁。
- ^ a b c 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1420頁。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。