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上野次郎男

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上野 次郎男(うえの じろうお、1905年3月29日 - 1971年8月25日)は、日本の経営者鹿児島県川内市(現在の薩摩川内市)出身[1]

経歴

1927年東京帝国大学経済学部を卒業[1]報知新聞社での勤務を経て、日本窒素肥料に転じた[1]1947年に取締役に就任し、1951年2月に再び取締役に就任し、同年9月に積水化学工業社長に就任し、1960年8月に積水ハウス産業代表取締役に就任した[1]。その一方で、讀賣テレビ放送取締役、関西経済連合会理事も務めた[2]

1957年紺綬褒章を受章し、1963年藍綬褒章を受章した[1]

1971年8月25日肝硬変のために死去[2]。66歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1969, う39頁.
  2. ^ a b 1971年 8月26日 読売新聞 朝刊 p15

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。