神宮寺 (三重県多気町)
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神宮寺(丹生大師) | |
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本堂 | |
所在地 | 三重県多気郡多気町丹生3997 |
位置 | 北緯34度28分43秒 東経136度29分33.8秒 / 北緯34.47861度 東経136.492722度座標: 北緯34度28分43秒 東経136度29分33.8秒 / 北緯34.47861度 東経136.492722度 |
山号 | 丹生山 |
院号 | 成就院 |
宗旨 | 古義真言宗 |
宗派 | 山階派 |
寺格 | 一等格寺院 |
本尊 | 弘法大師 |
創建年 | (伝)宝亀5年(774年) |
開基 | 勤操 |
正式名 | 女人高野山・丹生山神宮寺成就院[1] |
別称 | 丹生のお大師、丹生大師 |
札所等 | 伊勢西国三十三所観音霊場12番 |
文化財 | 本堂、仁王門、大師堂、護摩堂、客殿、弘法大師像、不動明王像、十一面観音像、薬師如来像、大日如来像 |
法人番号 | 7190005007131 |
神宮寺(じんぐうじ)は、三重県多気郡多気町にある真言宗山階派の寺院。山号は丹生山。女人高野山丹生山神宮寺成就院と号する[1]。通称丹生大師。丹生神社の神宮寺である。高野山が女人禁制だったのに対し、女性も参詣ができたので「女人高野」とも呼ばれる。通称の丹生大師とは空海(弘法大師)のことである。
歴史
伝承によれば、この寺は宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願により勤操によって開創された。勤操大徳は空海の兄弟子とされている僧である。伝説によると弘仁元年(810年)唐から帰国した空海は、諸国を巡拝し真言密教を広める聖地を丹生にすると決めた。ところが唐の国から投げた三鈷(さんこ)が高野山で発見されたため、高野山が真言宗の拠点となったという。空海が三鈷を力強く投げすぎたため、最初丹生に飛来したが跳ね返って高野山に届いたと伝えられている。弘仁4年(813年)、空海が諸堂の整備を行う[1]。
祭事
毎月21日に例祭、4月と10月に大祭を行う[1]。
境内
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仁王門
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鐘楼
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護摩堂
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文殊堂
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大師堂
文化財
町指定有形文化財[2]
- 仁王門
- 本堂
- 大師堂
- 護摩堂
- 客殿
参考文献
- 三重大学教育学部地理学研究室 編『三重地理学会報 第36号 三重県多気郡勢和村調査報告』三重地理学会、1985年3月25日、234p.