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邵文凱

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邵文凱
プロフィール
出生: 1887年光緒13年)[1]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府遼陽州
職業: 軍人
各種表記
繁体字 邵文凱
簡体字 邵文凯
拼音 Shào Wénkǎi
ラテン字 Shao Wen-k'ai
和名表記: しょう ぶんがい
発音転記: シャオ ウェンカイ
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邵 文凱(しょう ぶんがい)は中華民国の軍人。奉天派に属する。後に汪兆銘政権に参加した。仲則

事跡

1919年民国8年)、東三省講武堂第5期歩兵科を卒業する。1927年(民国16年)、第8軍少将参謀長に任命された。翌年、東北陸軍第27旅旅長代理に昇進し、少将銜を授与された。1931年(民国20年)、東北憲兵副司令兼北平戒厳司令に任ぜられる。1936年(民国25年)10月、中将銜を授与された。

その後、汪兆銘政権に参加し、1944年(民国33年)5月、河南省省長に任命された。翌年5月、軍事委員会委員に異動している。

日本敗北後、邵文凱は蔣介石国民政府に逮捕され、軍事法廷で死刑判決を受けた[2]が、実際の執行状況は不明である。

  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』785頁による。劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』1431頁は、1890年光緒16年)とする。
  2. ^ 余子道ほか『汪偽政権全史 下巻』1422-1423頁。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 余子道ほか『汪偽政権全史 下巻』上海人民出版社、2006年。ISBN 7-208-06486-5 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
田文炳
河南省長
1944年5月 - 1945年4月
次代
鮑文樾