額田長
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2012年10月) |
額田 長(ぬかた ひさし、1900年(明治33年) - 1984年(昭和59年)5月31日)は、日本の剣道家、居合道家。段位称号は剣道範士八段、居合道範士九段。
経歴
香川県高松市の銀行家の家に生まれる。1914年(大正3年)、県立高松中学校に入学。体育祭の剣道行事でいきなり10人を勝ち抜き、剣道を始めるきっかけとなる。同校剣道部師範の植田平太郎(天真正伝神道流)に師事し、頭角を現す。
1918年(大正7年)、東京高等商業学校(現一橋大学)入学を目指して上京するが、受験に失敗。このとき九段坂で高野佐三郎(中西派一刀流)の道場明信館を見つけ、明信館に入門する。
1919年(大正8年)、早稲田大学政治経済学部に入学。在学中、剣道部主将を務め、四段を取得する。
1926年(大正15年)、大阪の南海鉄道株式会社に入社。宣伝課長、軌道現業課長などに昇進する。
1928年(昭和3年)、大日本武徳会から剣道精錬証を受ける。この年、東京の三菱道場で中山博道から夢想神伝流居合の手ほどきを受け、その後中山の高弟・橋本統陽に居合を学び始める。
1941年(昭和16年)、陸軍に応召、約2年満州に駐留する。終戦後、46歳で南海鉄道を退職。
1950年(昭和25年)、早稲田大学の先輩にあたる笹森順造が設立した全日本撓競技連盟の理事に就任。同年、(株)光美術工芸社を設立。
1962年(昭和37年)、全日本剣道連盟剣道八段に昇段。南海電鉄剣道部に師範として招かれ、後に南海電鉄居合道部を発足させる。
1964年(昭和39年)、全日本剣道連盟居合道八段に昇段。
1967年(昭和42年)、全日本剣道連盟居合道研究委員に就任。同年剣道範士となるが、全剣連制定居合普及の責務を負い、以降は居合道に重きを置く。
1970年(昭和45年)、山口県で開催された全日本居合道大会で、橋本正武と共に木村栄寿から夢想神伝重信流の教えを受け、晩年は夢想神伝重信流の研鑽に努める。
1972年(昭和47年)、居合道範士となる。
1982年(昭和57年)、『林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流 傳書及び業手付解説』を上梓。
1984年(昭和59年)、84歳で死去。
参考文献
- 池田清代『居合道名人伝 下巻』(剣道日本プレミアム)、スキージャーナル