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難波屋おきた

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難波屋おきたの肖像 :以前の版では左上の短冊に判じ絵を記した[1]歌麿だが、検閲を警戒し、描かれた人物像から連想される歴史上の著名な歌人に代えている。
茶を運ぶポーズを付けたおきた。光沢のある背景に使った技法は雲母 (きら) 引きという[2]歌麿作『難波屋おきた』(1793年頃)

難波屋おきた(なにわや おきた)は、18世紀後半の茶屋に勤めた若い女性従業員で、浮世絵師歌麿好みのモデルのひとりであったとされる。

来歴

難波屋おきたは茶屋で働く若い女性従業員で、店は江戸 (現在の東京) の浅草寺[注 1]地域にあった[3][4]

おそらく安永7年 (1778年) ころの生まれと推定され、15歳前後の寛政5年 (1793年)、喜多川歌麿との出会いによって肖像画のモデルをつとめることになる[5]

歌麿による表現

当時三美人』:おきたはこの有名な版画の右下に描かれている。左は高島屋おひさ(たかしまや‐おひさ)、上は富本豊雛 (とみもと‐とよひな)。

歌麿がおきた像を表現した作品は、以下の図版を含めて15点もある[2]

  • 「難波屋おきた高島おひさと首引」(くびっぴき)、大判錦絵 (寛政) 佐藤章太郎[6]
  • 「難波屋おきた仁王と枕引き」(まくらひき) 大判錦絵 (寛政) 小石川松治蔵[7]
  • 「難波屋おきた高島おひさと腕角力(うでずもう) 大判錦絵(寛政) 佐藤章太郎蔵[8]
  • 「高名美人六家撰 難波屋おきた (大首)」大判錦絵(寛政) 小石川松治蔵[9]
  • ひばちの前の難波屋おきた」[10]
  • 姿見七人化粧 難波屋おきた」[11]
  • 「難波屋おきた (雲母地大判)」寛政5年[12]
  • 「難波屋おきた瀬川菊之亟 (大判)」寛政6年[13]
  • 「難波屋おきた十八歳の姿 (大判)」寛政7年[14]

このページに示した版画『当時三美人』も有名な作品で(上の富本豊雛 (とみもと‐とよひな) も左下の高島屋おひさ(たかしまや‐おひさ)も同時代に美人と噂された実在の女性)、加えて同じ美人グループはほかに少なくとも3つの版がある。そのひとつ (大英博物館版) は他に4人の女性が混じっている[疑問点]

歌麿には他にもおきたの有名な肖像画が2点あり、象徴として大首絵では (仕事を示す) 茶碗をささげもつポーズを取らせ、1点は立ち姿、もう1点は上半身のみの肖像画にまとめた。またこれら2点の肖像画は以下の外部リンクの版画ギャラリー (浮世絵のアダチ版画「喜多川歌麿」集) [15]で鑑賞できる。

その他の作家の表現

参考文献

発行年順

  • 浮世絵板画傑作集』第6集 鳥居清長、浮世絵研究会 (編)、浮世絵研究会、東京、1920年、14 (0014.jp2)頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10160112019年11月17日閲覧 
  • 矢田插雲 (ヤダ, ソウウン)「(110)難波屋おきた」『江戸から東京へ』4号、東光閣書店、東京、1924年、50-58頁。doi:10.11501/964279全国書誌番号:43031933https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9642792019年11月17日閲覧  第2編:20版、第3編:15版、第4編:14版、第6編:9版、第7編:4版。
  • 喜多川歌麿 画 (他)『歌麿浮世絵集雄山閣、1926年。doi:10.11501/1020796全国書誌番号:43052673https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10207962019年11月17日閲覧  挿絵はモノクロ。
  • 浮世絵標準画集』 8 (歌麿)、井上和雄 (編)、高見沢木版社、東京、1932年。doi:10.11501/1118083全国書誌番号:46078107https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11180832019年11月17日閲覧 
  • 三田村鳶魚江戸風俗志」1 (女の生活)、青蛙堂書房、1948年、2019年11月17日閲覧 
  • 菊地貞夫浮世絵名作選集』 9 - 歌麿. 第1、日本浮世絵協会 (編)、山田書院、0006.jp2 (扉)頁。全国書誌番号:55012797https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/87988632019年11月17日閲覧 
  • 楢崎宗重浮世絵名作選集』 10 - 歌麿 第2、山田書院、1968年。doi:10.11501/8798864全国書誌番号:55012798https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/87988642019年11月17日閲覧 
  • Bayou, Hélène; Pons, Philippe; Kano, Hiroyuki; Clark, Timothy (2004年9月). Images du monde flottant, peintures et estampes japonaises XVIIe-XVIIIe siècles. Réunion des Musées Nationaux (RMN)  17世紀から18世紀の浮世絵、日本画、版画集成。

脚注

注釈

  1. ^ 浅草寺はかつて、漁師の信奉を集めた。

出典

  1. ^ 人気のキーワード:夏 > 難波屋おきた”. stylefesta. アダチ伝統木版画技術保存財団. 2019年11月17日閲覧。 “(判じ絵は) 菜が二束と矢で「なにわや」、沖と田甫 (たんぼ) で「おきた」となります。”
  2. ^ a b 人気のキーワード:夏 > 難波屋おきた”. stylefesta. アダチ伝統木版画財団. 2019年11月17日閲覧。
  3. ^ 矢田插雲 1924, pp. 50–58.
  4. ^ 三田村鳶魚 1948, p. 80.
  5. ^ Bayou, et al. 2004, p. 304.
  6. ^ 雄山閣 1926, 第13図・コマ番号28.
  7. ^ 雄山閣 1926, 第14図・コマ番号28.
  8. ^ 雄山閣 1926, 第15図・コマ番号29.
  9. ^ 雄山閣 1926, 第24図・コマ番号34.
  10. ^ 楢崎宗重 1968, 0020.jp2.
  11. ^ 菊地貞夫 1968, p. 6.
  12. ^ 井上和雄 1932, 21頁-10図.
  13. ^ 井上和雄 1932, 22頁-11図.
  14. ^ 井上和雄 1932, 20頁-8図.
  15. ^ 喜多川歌麿 | 絵師でえらぶ | 浮世絵のアダチ版画オンラインストア”. stylefesta. 2019年11月17日閲覧。
  16. ^ 浮世絵研究会 1920, p. 14.

関連項目

関連文献

出版年順  いずれも公開条件は国立国会図書館/図書館送信参加館内。旧字は新字に編集済み。

  • 「寬政の二美人 難波屋おきたと高島おひさ、喜多川歌麿筆美女腕角力の図 / 喜多川歌麿」『此花 : 風俗絵図雜誌』第3巻、6頁、此花社、1912年12月。doi:10.11501/1539722
  • 『浮世絵』東京:浮世絵社刊、全国書誌番号:00001823
    • 第31号「『難波屋おきた』雲母摺」――(口絵彩色摺) / 喜多川歌麿」、4-6頁、1917年12月、doi:10.11501/1499162
    • 第40号、井上和雄「文化初期の検印について:清政の難波屋おきた」、1918年9月、14頁、doi:10.11501/1499171
    • 第41号、井上和雄「錦絵に現れたる難波屋おきた」、1918年10月、12-13頁、doi:10.11501/1499172

外部リンク