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アンギャン公

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フランス貴族アンギャン公の紋章

アンギャン公フランス語: duc d'Enghien)は、フランス貴族爵位

アンギャンとは、エノー地方(現ベルギー)にある地名(fr)である。ブルボン=ヴァンドーム伯フランソワの元へ輿入れしたマリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参金としてもたらしたもので、当初は伯爵領であった。

第1期(1566年 - 1569年)

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1566年、上記のマリー・ド・リュクサンブールの孫にあたるコンデ公ルイ1世のアンギャン伯爵位が公爵に昇格した。登記が完了していなかったため、1569年、彼の死とともに失効した。

第2期(1689年 - 1830年)

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ルイの孫であるコンデ公アンリ2世1633年モンモランシー公を相続し、孫のアンリ3世1689年にモンモランシー公をアンギャン公と改名した(モンモランシー公爵領近くにあるアンギャン=レ=バンにちなんだ)。以降アンギャン公は、コンデ公の長男が儀礼称号として用いた。

  1. 1689年 - 1709年:アンリ1世(1643年 - 1709年)
  2. 1709年 - 1710年:ルイ1世(1668年 - 1710年)
  3. 1710年 - 1740年:ルイ2世アンリ(1692年 - 1740年)
  4. 1740年 - 1818年:ルイ3世ジョゼフ(1736年 - 1818年)
  5. 1818年 - 1830年:ルイ4世アンリ(1756年 - 1830年)

ルイ4世アンリの子ルイ・アントワーヌ(1772年 - 1804年)がこの称号で呼ばれる。ルイ・アントワーヌは、ナポレオンの命令により冤罪によってヴァンセンヌ城で処刑され、これによりナポレオンブルボン家の関係は修復不可能となった。

ルイ4世アンリが1830年に死去すると、公位はルイ1世の玄孫にあたるルイ・フィリップ王に渡った。この継承は女系によった。ルイ・フィリップはアンギャン公継承の1ヶ月前にフランス王になっていた。