マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ
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マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ Maria Ludovika von Österreich-Este | |
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オーストリア皇后 | |
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在位 | 1808年1月6日 - 1816年4月7日 |
別称号 |
ハンガリー王妃 ボヘミア王妃 ロンバルド=ヴェネト王妃 |
全名 | マリア・ルドヴィカ・ベアトリクス・アントーニア・ヨーゼフェ・ヨハンナ(Maria Ludovika Beatrix Antonia Josephe Johanna) |
出生 |
1787年12月14日 ミラノ公国、モンツァ |
死去 |
1816年4月7日 オーストリア帝国、ヴェローナ |
埋葬 | オーストリア帝国、カプツィーナー納骨堂 |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝フランツ2世 |
家名 | オーストリア=エステ家 |
父親 | オーストリア大公フェルディナント |
母親 | マッサ=カッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ・デステ |
マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ(Maria Ludovika von Österreich-Este, 1787年12月14日 - 1816年4月7日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世およびマリア・テレジア夫妻の四男フェルディナント大公とその妻のマッサ=カッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ・デステの五女。オーストリア=エステ大公女。従兄であるオーストリア皇帝フランツ2世の3度目の妃となった。全名はマリア・ルドヴィカ・ベアトリクス・アントーニア・ヨーゼフェ・ヨハンナ(Maria Ludovika Beatrix Antonia Josephe Johanna)。
1808年1月6日にフランツ1世と結婚した。夫との間に子供はなく、結婚から8年後に28歳で早世した。