バイエルン・ミュンヘン公国
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バイエルン=ミュンヘン | |||||
Teilherzogtum Bayern-München | |||||
封臣 | |||||
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首都 | ミュンヘン | ||||
政府 | 君主制 | ||||
バイエルン=ミュンヘン公 | |||||
• | 1392年-1397年 | ヨハン2世、シュテファン3世、フリードリヒ | |||
• | 1397年-1438年 | エルンストとウィルヘルム3世 (1435年まで) | |||
• | 1438年-1460年 | アルブレヒト3世 | |||
• | 1460年-1463年 | ヨハネス4世とジギスムント | |||
• | 1463年-1465年 | ジギスムント | |||
• | 1465年-1508年 | ジギスムント (1467年まで)とアルブレヒト4世 | |||
歴史・時代 | 中世 | ||||
• | バイエルン=ランツフート公国からバイエルン=ミュンヘンとバイエルン=インゴルシュタット公国が離脱。 | 1392年 | |||
• | バイエルン=ミュンヘン公国、バイエルン=インゴルシュタット公国及びバイエルン=ランツフート公国からバイエルン=シュラウビングを分割 | 1425年 | |||
• | バイエルン=ミュンヘンからバイエルン=ダッハウを分割。 | 1467年9月3日 | |||
• | バイエルン=ダッハウがバイエルン=ミュンヘンに復帰 | 1501年2月1日 | |||
• | バイエルン公国の再統一 | 1505年7月30日 |
バイエルン=ミュンヘン公国(ドイツ語: Bayern-München)は、1392年から1505年まで神聖ローマ帝国内に存在した公国(領邦国家)の一つである。バイエルン公国が1375年のシュテファン2世の死後、シュテファン3世、フリードリヒ、ヨハン2世の3兄弟に系統分裂(当時は長子相続制が確立しておらず、ゲルマン古来の均分相続制度が広く行われていた)を起こし、バイエルン公領もそれぞれに分割された状態が100年以上続いた。
歴史
[編集]1375年にシュテファン2世が没すると、息子のシュテファン3世、フリードリヒとヨハン2世が共同して首都ランツフートを含むバイエルン=ランツフート公国を統治することになった。17年後、3兄弟は遺産を分割した。ヨハンはバイエルン=ミュンヘン公領を、シュテファンはバイエルン=インゴルシュタット公領を受け取り、その間フリードリヒがバイエルン=ランツフート公領を統治していた。
1429年にシュトラウビングを含むバイエルン=シュトラウビング公国の一部が、バイエルン=ミュンヘン公国に併合された。バイエルン=ミュンヘン公国出身のアルブレヒト4世のもとバイエルンが統一され、「ミュンヘンを首都とするバイエルン」という構図が確立される。