コンテンツにスキップ

泉眞也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。106.132.147.114 (会話) による 2022年3月29日 (火) 05:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

泉眞也(泉真也、いずみ しんや、1930年3月30日[1] - 2022年1月2日[2])は、日本環境デザイナープロデューサー[2]

人物・来歴

東京都出身[2]。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社(技術部配属)[3]。1962年に同社を退社し、フリーランスとなる[4]。同年、世界の都市・高速道路の視察団に参加[4]。帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した[5]。博覧会関連では、1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博、2005年愛・地球博では総合プロデューサーを務めた[3]。後進指導では、金沢美術工芸大学特別客員教授、多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授を歴任した[3]。妻はシャンソン歌手の瀬間千恵[6]

著書

  • 泉真也『核兵器と遊園地 いま、知的共鳴社会の時代』徳間書店、1988年11月。ISBN 4-19-143811-5 
  • 『イベント&コンベンション・インデックス:MESALA 1992-1993』 '93-3、泉真也(監修)、ぎょうせい、1992年4月。 
  • 泉真也『空間創造楽』電通、1992年12月。ISBN 4-88553-041-5 
  • 泉真也、寺沢勉『エクスポ&エキジビション Display designs in Japan 1980-1990 Vol.3』六耀社、1992年8月。ISBN 4-89737-138-4 
  • 泉真也、グローバルハブ研究会 編『めざせ!国際ハブ空港―大競争時代の国家戦略プロジェクト』日本経済新聞社、1996年12月。ISBN 4-532-14544-9 
  • 泉真也『しあわせのかたちを探しに 愛・地球博アートプログラムぬりえ絵本』新風舎、2005年3月。ISBN 4-7974-6865-3 
  • 泉眞也 著、『泉眞也の万有万物博覧会』をつくる会 編『泉眞也の万有万物博覧会』中日新聞社、2005年7月。ISBN 4-8062-0503-6 

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ a b c 泉真也さん死去 環境デザイナー、プロデューサー”. 時事通信社  (2022年1月13日). 2022年3月17日閲覧。
  3. ^ a b c 総合プロデューサー 泉 眞也(いずみ しんや) プロフィール”. 愛・地球博. 地球産業文化研究所. 2022年3月17日閲覧。
  4. ^ a b 山根一眞 (2022年1月24日). ““過激な中庸者”泉眞也氏の比類なき「万博プロデューサー」術”. JBpress. p. 1. 2022年3月17日閲覧。
  5. ^ 山根一眞 (2022年1月24日). ““過激な中庸者”泉眞也氏の比類なき「万博プロデューサー」術”. JBpress. p. 3. 2022年3月17日閲覧。
  6. ^ 環境デザイナー泉眞也さん死去 愛・地球博の総合プロデューサー”. 朝日新聞社 (2022年1月13日). 2022年3月17日閲覧。