名越時中
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名越 時中(なごや ときなか、1881年(明治14年)5月7日[1] – 1960年(昭和35年)4月25日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。水戸市長。
経歴
[編集]茨城県出身。茨城県尋常中学校を経て、陸軍士官学校を卒業[3]。歩兵第25連隊附、歩兵第13旅団副官、歩兵第34連隊大隊長、独立守備隊第2大隊長、浜田連隊区司令官、歩兵第9連隊長を歴任した[3]。1930年(昭和5年)、予備役に編入[1]。
1940年(昭和15年)、大政翼賛会茨城県支部常務委員に就任した[1]。
1941年(昭和16年)には水戸市長に選出された[4]。しかし市会で議員が同じ質問を浴びせる態度に憤激し、突如「一同起立」の号令をかけ、思わず起立した議員たちに「ばかやろう」の一喝を残して辞表を提出してしまった[4]。
戦後は敗戦の責任感を抱いて、食糧増産のため開墾に従事したという[4]。その後、公職追放となった[5]。
親族
[編集]- 名越時正 - 子。思想史家。
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1943.
- ^ 日本陸軍将官辞典 2001.
- ^ a b いはらき年鑑 1930.
- ^ a b c d 日本の歴代市長 第1巻 p.498 1983.
- ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、398頁。NDLJP:1276156。)
参考文献
[編集]- 『昭和四年 いはらき年鑑』いはらき新聞社、1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。