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トモスベビー

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トモスベビー
現役期間 1955年 - 1958年
欧字表記 Tomosu Baby
品種 アングロアラブ(アラブ血量28.90%)
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1953年4月30日
死没 1978年4月9日
トシシロ(サラブレッド)
スルガ(アングロアラブ)
母の父 方景(アングロアラブ)
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 中脇兼吉
調教師 三潟隆五郎川崎
競走成績
生涯成績 59戦31勝
内対サラ系:19戦7勝
獲得賞金 1037万5000円
勝ち鞍

アラブチャンピオン(1956年、1958年)
ワード賞(1956年、1957年)
川崎開設記念(アラ系)(1957年)
アラブチャレンジャー(1956年、1957年)

ホウセント記念(1956年)
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トモスベビーとは、アングロアラブの日本の競走馬種牡馬である。1950年代の南関東公営競馬にあって、サラブレッドらと互角以上に戦った強豪アングロアラブの1頭であった。

※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

デビュー前

浦河の中脇兼吉の手により、1953年4月30日に誕生した。父のトシシロは競走成績こそ振るわなかったが、その母は1935年帝室御賞典 (東京)を制したクレオパトラトマス、父も大種牡馬ダイオライトという下総御料牧場が誇る良血馬。サラブレッドの父としても成功し、1954年桜花賞優駿牝馬ヤマイチらを送り出している。母のスルガも、このトモスベビーを皮切りにタカクラホマレ(1959年銀盃)、リキスベビー(1957年全日本アラブ争覇1958年千鳥賞)、タカライザン(1960年秋の特別ほか)と、通算4頭もの重賞勝ち馬を世に送った名繁殖牝馬であった。

現役時代

3~4歳

3歳になったトモスベビーは、川崎の三潟隆五郎厩舎へと入厩しデビューを迎える。11月17日大井での3歳特別戦を快勝し目標である全日本アラブ争覇へと臨んだが、こちらではギンパイをハナ差で差し損ね2着だった。4歳になってからも春の特別では3着など勝ちきれないところが目立ったが、5月27日アラブチャレンジャーで重賞初勝利。そのまま6月8日大井ワード賞でも古馬の一流どころを一蹴した。

下半期の目標のひとつだった秋の特別では関西からこのレースを目指して転入してきていたタカトシの逃げ切りを許し2着に終わったが[1]12月5日ホウセント記念では61kgの斤量をものともせずに快勝。さらにこの年から設けられた大晦日アラブチャンピオンに出走すると、タカトシらを下してこの年重賞4勝目を挙げている。

5歳

年明けの地元開催で新春ハンデを、さらには2月9日にはアラブの開設記念を制したトモスベビーだが、60kg大半ばを背負わされる斤量面での苦しさは限界近くまで達していた。この年の上半期は出走可能なアングロアラブ重賞5つ全てに出走したにもかかわらず、勝ち星を挙げることができたのは先に述べた開設記念とワード賞だけだった。結局、9月24日に地元でおこなわれたアラブチャレンジャーを64kgで勝ったのちに、トモスベビーはサラブレッドのC級戦への出走を始める。4連勝で順調にクラスを上げると、12月16日の大井にてサラのA2・B1級特別戦を勝ち、対サラ系A級での勝ち星を挙げた[2]。年末の大井開催でこの年の秋の鞍勝ち馬イチカントーらに敗れて3着となり連勝こそ止まったが、この年の対サラ系戦績は6戦5勝3着1回という非常に優れたものであった [注釈 1]

6歳

6歳となったトモスベビーは、サラブレッドのA級を走り続けて2勝を挙げている。重賞への出走も3度あったが地元川崎の開設記念川崎記念どちらも4着に終わり、サラブレッドの重賞制覇はならなかった。引退レースとなった12月19日アラブチャンピオンでは久々にアングロアラブとの対戦となったが、63kgの斤量をものともせず同レース自身2回目の勝利で有終の美を飾った。

引退後

引退後は種牡馬入りし、現役時代の戦績に恥じない成功を収めている。代表産駒としては中央競馬優駿賞最優秀アラブを受賞したミサキシンボル楠賞全日本アラブ優駿アラブダービーをどちらも制したメイクマイウエーらがいる。また名種牡馬スカレーの母父としても、その名を血統表に見かけることができる。

血統表

トモスベビー血統アラブ血量28.90% / オーム系 / 4代内アウトブリード / 「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名は豪アラ (血統表の出典)

トシシロ
1940 栗毛
父の父
ダイオライト
Diolitek
1927 黒鹿毛
Diophon 1921 Grand Parade 1916
Donnetta 1900
Needle Rock 1915 Rock Sand 1900
Needlepoint 1908
父の母
月城
1932 黒鹿毛
Campfire 1914 Olambala 1906
Nightfall 1908
星旗
Fairy Maiden 1924
Gnome 1916
Tuscan Maiden 1918

アア スルガ
1946 鹿毛
アア 方景
1934 鹿毛
アスフオード
Athford 1925
Blandford 1919
Athasi 1917
アア 影英 1929 アラ エルワルド 1919
アア 影鶯 1919
母の母
アア 念原
1935 栗毛
アラ ハラブ 1926  
 
アア リモネン 1920 アラ *ギドラン四十二ノ三
アア ダンネモラー 1912 ギドラン三六ノ四系


参考文献

脚注

注釈

  1. ^ この年の秋には中央競馬セイユウが、サラブレッドを相手にセントライト記念を制するなどの大活躍を見せている

出典

  1. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ』1956年10月11~12日分。転入前のタカトシの戦績は、道営・関西公営競馬で40戦34勝との数字が引かれている
  2. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ』1956年12月16~17日分

関連項目

  • セイユウ - 同時期に中央競馬でサラブレッドと渡り合ったアングロアラブ。

外部リンク