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ヤンタ鹿鳴館

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ヤンタ鹿鳴館(ヤンタろくめいかん)は、大阪市此花区西九条にかつてあったライブハウスYANTA鹿鳴館とも表記する。

1995年、店名を西九条 BRAND NEW(にしくじょうブランニュー)に変更、現在も営業中。

概要・歴史

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1985年ごろに堺市のスタジオヤンタが市内に進出して設立、しばらくして後ライブハウスとなる。創立者は山根康広の父、山根克巳。ちなみにヤンタとは山根康広のニックネームだといわれる。当時、大阪にはバハマともう1店舗キャンディーホールというヘヴィメタルの2大中心地的なライブハウスがあったが、騒音問題などからこのキャンディーホールが閉店。そこのスタッフが多数流れてヤンタ鹿鳴館が始まった。

ヘヴィメタルのハコとして名を成したが、時代の流れとブッキングマネージャーの趣味とともにポップスヴィジュアル系へと徐々にシフトしていった。

全盛期には400バンドが出演。東京のライブステーションやプレイハウスとの共催イベントなどで盛り上がり、バンドブームにバンド、ミュージシャンを多数輩出した。またLuis-Maryを事務所契約バンドとしてデビューさせ、ヴィジュアル系のメッカとして認識されるに至った。

1995年から名前と装いを変えて西九条ブランニューとして営業中。2015年10月から12月までBRAND NEW 20th ANNIVERSARY SPECIALを開催。

主な出身バンド、ミュージシャン

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