呉相湘
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呉相湘 | |
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生誕 |
1912年 中華民国 湖南省常徳市 |
死没 |
2007年 アメリカ合衆国 イリノイ州 |
国籍 | 中華民国 |
民族 | 漢族 |
出身校 | 北京大学 |
職業 | 歴史学者 |
政党 | 中国国民党 |
親 |
呉慶玉 呉金棠 呉其林 |
呉相湘 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 吳相湘 |
簡体字: | 吴相湘 |
拼音: | Wú Xiāngxiāng |
英語名: | Wu Xiangxiang |
呉相湘(ご そうしょう、1912年 - 2007年9月21日)は、中華民国の歴史学者。代表作に『三生有幸』『民国人物列伝』『晩清宮廷實紀』。専攻は民国史。
略歴
[編集]1912年の湖南省常徳市生まれる。かつて祖父の呉慶玉と祖父の呉金棠は小商人だった。父・呉其林は同盟会のメンバーです。1922年、呉相湘は長沙の楚怡小学校に行って本を読みます。4年後、明徳中学に合格した。1937年、呉相湘は北京大学を卒業後、長沙の中央研究院に就職した。日中戦争の時、呉相湘は国民党第9戦区で働いていました。当時、呉相湘は『第三回長沙大会戦』などの作品を書きました。1945年後、呉相湘は故宮博物院の編集者と蘭州大学の助教授を担当しました[1][2]。
1949年、呉相湘は台湾台北市に引っ越しました。国立台湾大学歴史学部教授、シンガポール南洋大学歴史学部主任、中国文化学院史学研究所教授などを歴任した。1962年11月、呉相湘は中国国民党から除籍されました。1975年に呉相湘は米国に行って定住して、世間の事を聞きません。1996年に呉相湘は大陸に帰って「孫中山130周年誕生国際学術会議」に参加しました。2007年9月21日、呉相湘はアメリカのイリノイ州で病死しました[3]。
著書
[編集]- 『三生有幸』中華書局、上海市、2007年。ISBN 9787101058192。
- 『風雲际会下の書生』工人出版社、北京市、2009年。ISBN 9787500846239。
- 『民国五十位軍政人物列伝』中国工人出版社、北京市、2011年。ISBN 9787500848172。
- 『民国人物列伝』東方出版社、上海市、2015年。ISBN 978-7-5060-7937-2。
- 『晩清宮廷實紀』中国百科出版社、北京市、2015年。ISBN 9787500097242。
- 『現代史事論述』中国百科出版社、北京市、2016年。ISBN 9787500097280。
- 『宋教仁伝』中国百科出版社、北京市、2016年。ISBN 9787500097075。
脚注
[編集]- ^ 永志 (2016年9月28日). “吴相湘:从常德走出去的大历史学家” (中国語). hunan.voc.com.cn
- ^ 曹先輝 (2017年8月14日). “著名历史学家吴相湘:“三生有幸”忆常德” (中国語). hunantoday.cn
- ^ “台著名史学家吴相湘病逝 曾对历史普及化有贡献” (中国語). sina. (2007年9月24日)