富奥村
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とみおくむら 富奥村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 野々市町、富奥村 → 野々市町 |
現在の自治体 | 野々市市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 石川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.12 km2. |
隣接自治体 | 金沢市、石川郡松任町、野々市町、鶴来町、郷村 |
富奥村役場 | |
所在地 | 石川県石川郡富奥村中林[1] |
座標 | 北緯36度31分10秒 東経136度36分35秒 / 北緯36.51947度 東経136.60969度座標: 北緯36度31分10秒 東経136度36分35秒 / 北緯36.51947度 東経136.60969度 |
ウィキプロジェクト |
村名の由来は、この地が江戸時代に富樫荘(富樫組)、中奥郷[2](中奥組)にまたがっていた所であり、両者からそれぞれ一字ずつ採ったもの。
地理
- 現在の金沢市南西部と西部および白山市北東部と東部に隣接。
- 現在の野々市市役所、野々市中学校(以上三納)、石川県立大学、末松廃寺跡[3](以上末松)、野々市明倫高校(下林)、富陽小学校(中林)がある。
- 現在の金沢外環状道路(新庄、末松、清金)、加賀産業道路(新庄、上林)が通っている。
- 川(富樫用水、郷用水):木呂川、住吉川、林口川、南郷川
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により矢作、粟田新保、下新庄、上新庄、太平寺、位川、下林、三納、藤平田、藤平田新、中林、上林、清金、末松の14か村が合併し、石川郡富奥村が成立。
- 1904年(明治37年)11月1日 - 松金馬車鉄道(後の北陸鉄道松金線)が開通(太平寺)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 野々市町と合併[4]。この時、粟田新保は粟田、藤平田新(とへいだしん)は藤平(ふじひら)とそれぞれ改称、下新庄と上新庄は合併して新庄となり、あとの10大字は野々市町の大字に継承。
行政
村長
代数 | 氏名[5][6] | 就任年月日[5][6] | 退任年月日[5][6] | 備考 |
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1 | 藤村嘉平 | 1889年(明治22年)6月17日 | 1893年(明治26年)6月16日 | |
2 | 永寛敬信 | 1893年(明治26年)6月18日 | 1902年(明治35年)7月20日 | |
3 | 小林栄太郎 | 1902年(明治35年)8月25日 | 1914年(大正3年)9月23日 | |
4 | 古源栄次郎 | 1914年(大正3年)11月30日 | 1922年(大正11年)12月28日 | |
5 | 谷市三郎 | 1923年(大正12年)1月25日 | 1935年(昭和10年)2月 | |
6 | 小林千太郎 | 1935年(昭和10年)2月 | 1939年(昭和14年)2月 | |
7 | 中島栄治 | 1939年(昭和14年)2月17日 | 1944年(昭和19年)2月15日 | 後に野々市町長[7] |
8 | 竹内一朗 | 1944年(昭和19年)2月 | 1947年(昭和22年)4月 | |
9 | 山原七郎 | 1947年(昭和22年)4月 | 1951年(昭和26年)4月 | |
10 | 村井次一 | 1951年(昭和26年)4月 | 1955年(昭和30年)4月 |
地域
教育
小学校
- 富奥村立富奥尋常小学校[8]
- 1902年(明治35年)4月1日、中林尋常、粟田新保、下林尋常小学校の3校が合併して富奥村立富奥小学校が誕生。
- 1955年(昭和30年)4月1日、野々市町と合併に伴い、野々市町立富奥小学校と改称。
- 1961年(昭和36年)4月1日、旧野々市町立野々市尋常高等小学校と統合され、1962年(昭和37年)8月に新野々市小学校の新校舎が完成し富奥小校舎は閉校。同年12月7日、富奥小校舎の跡地には石川県農業試験場が移転新築され、1987年(昭和62年)まで使用(金沢市才田町に移転)。現在はJAののいち本店と野々市スポーツランドが建っている。
中学校
- 富奥村立富奥中学校(校舎は富奥村立富奥尋常小学校と共同)
- 1947年(昭和22年)3月に教育基本法が制定され、六・三・三制が実施したことにより中学校までが義務教育となった。同年4月1日、学校教育規則法により富奥村立富奥中学校、同富奥小学校と改称した。1948年(昭和23年)、校舎の改装工事により、1949年(昭和24年)11月10日には、木造2階建ての校舎が完成。
- 野々市町との合併後に野々市町立富奥中学校と改称したが、1956年(昭和31年)3月31日、旧野々市中学校と統合のため廃校。新校舎(本町・現在、野々市市文化会館フォルテ)が完成するまでは、教場として活用されていた。
交通
鉄道路線
出身人物
脚注
- ^ “帝国市町村便覧(1915年)P.272”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年7月3日閲覧。
- ^ 中奥村
- ^ “野々市市観光マップ 末松廃寺跡”. 野々市市. 2013年2月7日閲覧。
- ^ “新しい野々市町の誕生”. 野々市市. 2013年2月7日閲覧。
- ^ a b c “石川県石川郡誌(1927年)P.976”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年7月3日閲覧。
- ^ a b c “第六章 明治以降 第八節 三役と社会”. 『富奥郷土史』(1975年). 2013年7月3日閲覧。
- ^ “資料集(七〜九) 八、郷土に育まれた人物”. 『富奥郷土史』(1975年). 2013年7月19日閲覧。
- ^ “富奥小学校跡地の碑”. ののいち歴史探訪. 2013年2月7日閲覧。
- ^ “私の勉学時代”. 関塾 タイムス. 2013年2月7日閲覧。