朝鮮総督府殖産局
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朝鮮総督府殖産局(ちょうせんそうとくふしょくさんきょく)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局。
本項では、1943年(昭和18年)に殖産局などを再編して新設された鉱工局にも触れる。
沿革
[編集]1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、農商工部に属する局として、商工局とともに殖産局が置かれた。1912年(明治45年)4月1日、農商工部の2局は改編され、農林局と殖産局になった。1915年(大正4年)4月には機構簡素化の目的で殖産局は農林局とともに廃止され、各課の事務を農商工部長が直接指揮することとなった。
1919年(大正8年)8月20日の官制改正により、農商工部は廃止され、総督直属の局として殖産局が置かれた[1]。
1943年(昭和18年)12月1日に殖産局は農林局・専売局などとともに廃止され、農商局・鉱工局が新設されている。朝鮮総督府鉱工局は、終戦時に存在した朝鮮総督府内部部局(総督官房・財務局・鉱工局・農商局・法務局・学務局・警務局)のひとつである。
機構
[編集]1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 殖産局
- 商工課
- 物価調整課
- 燃料課
- 鉱山課
- 産金課
- 水産課
- 燃料選鉱研究所
- 商工奨励館
- 鑿岩工養成所
- 地質調査所
- 度量衡所
関連する総督府所属官署として、水産試験場、水産製品検査所などがあった。
歴代局長
[編集]殖産局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(朝鮮総督府農商工部)殖産局長 | ||
菊池武一 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1912年(明治45年)4月1日 | |
帆足準三 | 1912年(明治45年)4月1日[2] - 1913年(大正2年)2月24日 | |
(欠員) | 1913年(大正2年)2月24日 - 1915年(大正4年)3月31日 | |
(殖産局廃止) | ||
(朝鮮総督府)殖産局長 | ||
西村保吉 | 1919年(大正8年)8月20日[3] - 1924年(大正13年)12月1日 | |
池田秀雄 | 1924年(大正13年)12月1日 - 1928年(昭和3年)3月29日 | |
今村武志 | 1928年(昭和3年)3月29日 - 1929年(昭和4年)11月8日 | |
松村松盛 | 1929年(昭和4年)11月8日 - 1931年(昭和6年)7月22日 | |
中村寅之助 | 1931年(昭和6年)7月22日 - 1931年(昭和6年)9月23日 | 事務取扱 |
渡辺忍 | 1931年(昭和6年)9月23日 - 1932年(昭和7年)7月27日 | |
穂積真六郎 | 1932年(昭和7年)7月27日 - 1941年(昭和16年)11月19日 | |
上瀧基 | 1941年(昭和16年)11月19日 - 1943年(昭和18年)12月1日 |
鉱工局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
江口親憲 | 1943年(昭和18年)12月1日 - 1944年(昭和19年)8月17日 | |
塩田正洪 | 1944年(昭和19年)8月17日 - | 日本統治下最後の局長 |
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2113号、大正8年8月20日。
- ^ 『官報』第8633号「叙任及辞令」1912年4月2日。
- ^ 『官報』第2114号、大正8年8月21日。
参考文献
[編集]- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)