アルベール・カペラニ
Albert Capellani アルベール・カペラニ | |
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1910年 | |
生年月日 | 1874年8月23日 |
没年月日 | 1931年9月26日(57歳没) |
出生地 | フランス パリ |
死没地 | フランス パリ |
職業 | 映画監督、俳優、脚本家、映画プロデューサー |
ジャンル | 舞台、サイレント映画 |
活動期間 | 1904年 - 1922年 |
活動内容 |
1904年 パテ・フレール 1915年 渡米 1923年 帰国 |
著名な家族 | ポール・カペラニ(弟) |
主な作品 | |
『お伽の森』 『噫無情』 『紅燈祭』 |
アルベール・カペラニ(Albert Capellani, 1874年8月23日 - 1931年9月26日)は、フランスの映画監督、俳優、脚本家、映画プロデューサーである[1]。アメリカ合衆国でも活動した[1]。
人物・来歴
[編集]1874年8月23日、フランスのパリで生まれる[1]。3歳下の弟ポール・カペラニはのちに長じて俳優となった[1][2]。
当初のキャリアは舞台俳優であったが映画界に転向し、1904年1月12日にパテ・フレール(パテ)が公開した短篇映画 Peau d'âne を監督したのが、映画界での最初の記録である[1]。以降、パテ・フレールの重要監督として、短篇映画を量産、1907年に監督した『お伽の森』は、同作を機に主演のマックス・ランデーをスターにし、同社の「夢幻劇」のなかでももっとも著名な作品となる[3]。1910年には、ジャン・ラシーヌの最後の戯曲『アタリー』(1691年) を映画化[1]、同作は日本でも、1912年(明治45年)7月1日、小山内薫の泰西名作活動写真会で『エスセリア女王』の題で紹介されている[4]。
1913年に監督した長篇映画『噫無情』で名声を得て、1915年、アメリカ合衆国に招かれる[1]。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の前身のメトロ・ピクチャーズで、1919年、アラ・ナジモヴァの同社入社第1作として監督した『紅燈祭』[5]は、日本でも翌1920年(大正9年)12月16日、正規輸入した平尾商会のプリントを大正活映が同題で、上海から並行輸入した中古プリントを国際活映が『赤燈籠』の題でそれぞれ配給し、同日封切が行なわれた[5]。
1922年、『若きダイアナ』を監督したのを最後に[1]アメリカを去り、1923年フランスに戻って、アメリカで得た技術を紹介しようと試みたがうまくいかなかった[6]。同年から麻痺を病み[7]、以降、深刻な病状と逼迫する財政に苦しんだ[6]。
1931年9月26日、パリで死去した[1]。満57歳没[6]。
カペリニ作品はパテ・フレール作品が一部現存しており、2010年の第24回ボローニャ復元映画祭で、同社での『噫無情』やハリウッドでの『紅燈祭』をプログラムに含む特集上映が組まれた[8]。『お伽の森』は「小宮登美次郎コレクション」の1作として、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している[3]。
おもなフィルモグラフィ
[編集]特筆以外すべて監督作である[1]。1904年 - 1915年の時期の140作に関しては、短篇が多く[1]、おもなものに留めた。
1900年代
[編集]- Peau d'âne : 1904年 - 監督デビュー作
- Aladin, ou la Lampe merveilleuse : 1906年
- 『お伽の森』 La Vie de Polichinelle : 1907年
- Riquet à la houppe : 1908年
- Béatrice Cenci : 1908年
1910年代
[編集]- 『エスセリア女王』 Athalie : 1910年[9][4]
- 『ノートルダムの秘密』 Notre-Dame de Paris : 1911年
- 『紅家の騎士』 Le chevalier de Maison-Rouge : 1912年
- 『ジェルミナル』 Germinal : 1913年
- 『噫無情』 Les Misérables : 1913年
- De afwezige : 1913年
- 『祖国』 Patrie : 1914年
- Camille : 1915年
- 『南国の熱情』 The Feast of Life : 1916年
- 『放浪生活』 La vie de Bohème : 1916年
- 『希望の曙』 The Dark Silence : 1916年
- 『乙女の夢』 The Foolish Virgin : 1916年
- 『日蔭の女』 The Common Law : 1916年
- The Easiest Way : 1917年
- Marie Tudor : 1917年
- American Maid : 1917年
- Daybreak : 1918年
- Social Hypocrites : 1918年
- The Richest Girl : 1918年
- The House of Mirth : 1918年
- 『剣の舞』 Eye for Eye : 1918年 - 共同監督
- 『海の神秘』 Out of the Fog : 1919年
- 『紅燈祭』(別題『赤燈籠』『赤き灯』) The Red Lantern : 1919年
- Oh Boy! : 1919年
- The Virtuous Model : 1919年
1920年代
[編集]- 『九十三年』 Quatre-vingt-treize : 1921年 - 脚本・共同監督
- 『女占師』(別題『売卜者』) The Fortune Teller : 1920年
- 『改造』(別題『盃の内側』) The Inside of the Cup : 1921年
- 『雁』 The Wild Goose : 1921年
- Sisters : 1922年
- 『若きダイアナ』 The Young Diana : 1922年 - 共同監督(最終監督作)
関連事項
[編集]- ポール・カペラニ (en:Paul Capellani)
- マックス・ランデー (en:Max Linder)
- メトロ・ピクチャーズ (en:Metro Pictures)
- ボローニャ復元映画祭 (en:Il Cinema Ritrovato)
註
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k Albert Capellani, Internet Movie Database , 2010年7月2日閲覧。
- ^ Paul Capellani - IMDb , 2010年7月2日閲覧。
- ^ a b お伽の森 - フィルム・コレクションに見るNFCの40年、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年7月4日閲覧。
- ^ a b 『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.192.
- ^ a b 『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、p.332.
- ^ a b c Albert Capellani, filmsdefrance.com , 2010年7月4日閲覧。
- ^ Albert Capellani, allmovie , 2010年7月2日閲覧。
- ^ Albert Capellani: un cinema di grandeur、ボローニャ復元映画祭 , 2010年7月4日閲覧。
- ^ エスセリア女王、allcinema ONLINE, 2010年7月4日閲覧。