渡辺潔綱
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 文化11年4月19日(1814年6月7日) |
死没 | 明治9年(1876年)6月3日 |
改名 | 潔綱→松月(号) |
別名 | 通称:半之丞 |
官位 | 従五位下、備中守、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 和泉伯太藩主 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺則綱 |
兄弟 | 潔綱、条綱 |
妻 | 正室:細川立之の娘 |
子 | 章綱(長男)、寛綱[1]、隆綱(三男)、里(永井直幹正室)、娘(稲垣太祥継室)、娘(永井尚敏正室) |
渡辺 潔綱(わたなべ きよつな)は、江戸時代後期の大名。和泉伯太藩の第8代藩主。伯太藩渡辺家10代。
略歴
文化11年(1814年)、第7代藩主・渡辺則綱の次男として誕生した。
文政9年(1826年)11月15日、第11代征夷大将軍・徳川家斉に拝謁した。文政11年(1828年)11月7日、則綱の隠居により家督を相続した。同年12月16日、従五位下備中守に叙任した。後に丹後守に改めた。日光祭祀奉行を務めた。
弘化4年(1847年)5月23日、隠居し、長男の章綱に家督を譲った。隠居後、松月と称した。明治3年(1870年)4月4日、明治天皇に拝謁した。
脚注
- ^ 次男。章綱の養子。