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ヘンリー男爵

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ヘンリー男爵

紋章記述

Arms of Eden: Gules, on a chevron argent between three garbs or banded vert as many escallops sable; quarters Henley; crest: A dexter arm in armour couped at the shoulder proper and grasping a garb or; supporters:d dexter: A lion argent semée of torteaux ducally crowned or having a plain collar or rimmed azure on the collar three escallops sable and pendant therefrom a shield or charged with an eagle displayed with two heads sable; sinister: A stag argent semée of torteaux, attired or gorged with a plain collar or rimmed azure on the collar three escallops sable and pendant therefrom a shield or charged with an eagle displayed with one head sable
創設時期1799年11月9日
創設者ジョージ3世
貴族アイルランド貴族
初代初代男爵モートン・イーデン
現所有者8代男爵オリヴァー・マイケル・ロバート・イーデン
相続人ジョン・マイケル・オリヴァー・イーデン
付随称号ノーティントン男爵
現況存続
旧邸宅スケールビー城英語版
モットーSi Sit Prudentia
(If there be prudence)

ヘンリー男爵(Baron Henley)は、イギリス男爵位。過去に二回創設されており、外交官モートン・イーデン1799年に叙された第2期のアイルランド貴族ヘンリー男爵位が現存している。

歴史

第1期のヘンリー男爵とノーティントン伯爵

法律家でバース選挙区英語版選出のホイッグ党庶民院議員でもあったロバート・ヘンリー(1708–1772)は、1760年5月27日グレートブリテン貴族爵位のサウサンプトン州におけるヘンリー卿・ヘンリー男爵(Lord Henley, Baron Henley of Grainge in the County of Southampton)に叙せられ、1761年から1766年にかけて大法官を務めた。その在職中の1764年5月19日にグレートブリテン貴族爵位サウサンプトン州におけるノーティントンのノーティントン伯爵(Earl of Northington, of Northington in the County of Southampton)に叙せられ、1766年から1767年にかけては枢密院議長を務めた[1]

その息子である2代ノーティントン伯爵ロバート・ヘンリー(1747–1786)も襲爵前にハンプシャー選挙区英語版選出のホイッグ党所属の庶民院議員に選出され、財務省出納官英語版を務めていた。1772年に襲爵した後、1783年から1784年にかけてアイルランド総督に就任した。しかし子供がなかったため、彼の死とともにノーティントン伯爵位と第1期のヘンリー男爵位は廃絶した[1]

第2期のヘンリー男爵とノーティントン男爵

ヘンリー男爵家(第2期)の邸宅であるスケールビー城

第3代準男爵サー・ロバート・イーデンの八男で、第1期の初代ヘンリー男爵(初代ノーティントン伯爵)の五女エリザベス・ヘンリー(Elizabeth Henley, 1757-1821)と結婚したモートン・イーデン(1752–1830)は、外交官として欧州各国駐在の公使や大使を歴任し、1799年11月9日にはアイルランド貴族爵位ドーセット州におけるチャードストックのヘンリー男爵(Baron Henley, of Chardstock in the County of Dorset)に叙せられた[2][3]

その息子である第2代ヘンリー男爵ロバート・ヘンリー英語版 (1789–1841)は、襲爵前にフォーウィー選挙区英語版から選出されてトーリー党の庶民院議員を務め、1830年に襲爵した後、1831年に勅許を得て姓を母方のヘンリーに改姓した[2][4]

その息子である第3代ヘンリー男爵アーサー・ヘンリー英語版(1825–1898)は、襲爵前にノーサンプトン選挙区英語版選出の庶民院議員を務め、1885年6月28日には連合王国貴族爵位ノーサンプトン州におけるワトフォードのノーティントン男爵(Baron Northington, of Watford in the County of Northampton)に叙せられ、貴族院議員に列した[2][5]

その末息子で第6代ヘンリー男爵を継承するフランシス英語版(1877–1962)は、1925年12月に平型捺印証書で姓をヘンリーからイーデンに戻した[2][6]

その息子である7代ヘンリー男爵マイケル・イーデン英語版(1914–1977)は、自由党の幹部であり、党のプレジデント(President)やチェアマン(Chairman)を務めた[2][7]

2019年現在の当主はその息子である第8代ヘンリー男爵オリヴァー・イーデン英語版(1953-)。現当主は1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が92議席に限定された後も世襲貴族枠の貴族院議員に選び残された[2][8]

一覧

ヘンリー男爵 第1期 (1760年)

ヘンリー男爵家(第1期)の紋章のエスカッッシャン部分

ノーティントン伯爵 (1764年)

ヘンリー男爵 第2期 (1799)

出典

  1. ^ a b Heraldic Media Limited. “Northington, Earl of (GB, 1764 - 1786)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年9月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Henley, Baron (I, 1799)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年9月9日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Morton Frederick Eden, 1st Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Robert Henry Henley, 2nd Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Anthony Henley, 3rd Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Francis Robert Eden, 6th Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Michael Francis Eden, 7th Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Oliver Michael Robert Eden, 8th Baron Henley of Chardstock” (英語). thepeerage.com. 2019年9月9日閲覧。

関連項目