法光院
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法光院(ほうこういん、生没不詳)は、安土桃山時代の女性。徳川家康の側室。名は松。出自は不明である。
松は徳川家康の側室で、「法光院」という法号以外は、生年・没年など、その経緯や葬地など全く記録に残されていない[1]。
譜集『源流綜貫』には徳川家康の落胤とされる松平民部の生母であり、天正10年(1582年)に出産したとされるが、徳川家康の子女を生んだ他の側室に比べると、同じく落胤とされる小笠原権之丞の生母である三条氏と同様に記録が少なく、不明な点が多い[2]。
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