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王宏坤

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王 宏坤
王宏坤上将(1955年)
生誕 1909年1月22日
湖北省麻城県乗馬崗区
死没 (1993-08-20) 1993年8月20日(84歳没)
北京
所属組織 中国人民解放軍海軍
最終階級 海軍上将
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王 宏坤
各種表記
繁体字 王宏坤
簡体字 王宏坤
拼音 Wáng Hóngkūn
ラテン字 Wang Hongkun
和名表記: おう こうこん
発音転記: ワン ホンクン
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王 宏坤(おう こうこん、1909年1月22日 - 1993年8月20日)は、中華人民共和国軍人政治家中国人民解放軍海軍副司令員などを歴任した。最終階級は海軍上将(1955年授与)。出生名は王 宏春で、従兄に王樹声(出生名・王宏信)がいる。

経歴・人物

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1909年1月22日、湖北省麻城県(現麻城市)乗馬崗区石槽冲村の貧しい農民家庭に生まれる。1926年農民運動に加わり、1927年には農民義勇隊員として黄麻起義に身を投じた。1929年1月に中国工農紅軍に参加、3月には中国共産党に入党した。第一次国共内戦において数多の戦役に参戦し功績を立て、長征の成功に貢献。日中戦争勃発後、1938年12月に八路軍冀南軍区副司令員に任じられ、冀南平原における遊撃戦を指揮し、1940年百団大戦などに参加した。1944年5月冀南軍区と冀魯豫軍区が合併されたため、冀魯豫軍区第一副司令員・冀南指揮部司令員・政治委員を兼務。

第二次国共内戦では、晋冀魯豫軍区副司令員兼第6縦隊司令員として上党戦役、邯鄲戦役に参加し、1947年には晋冀魯豫野戦軍第10縦隊司令員兼桐柏軍区司令員となり、1948年1月の鄧県戦役、5月の宛西戦役に相次いで参加。更に7月には中原野戦軍第6縦隊と中原軍区の部隊を指揮し、襄樊戦役を発起。これにより、樊城・襄陽の両市を攻略し、国民党軍第15綏靖区司令の康沢を捕虜として、華中と西北の国民党軍の連携を分断した。1949年、湖北軍区第一副司令員、中共湖北省委員会副書記、代理書記に転じる。

人民共和国成立後、1950年4月から人民解放軍海軍副司令員となり、海軍の創建に邁進。1955年、海軍上将に昇り、一級八一勲章、一級独立自由勲章、一級解放勲章の栄典を得る。1966年3月には海軍第二政治委員。文化大革命では李作鵬張秀川らとともに海軍の奪権を図り、司令員蕭勁光と政治委員蘇振華を攻撃した。1977年、海軍第二政治委員を解任される。1988年、二級紅星勲功栄誉章を授与(1965年以前に少将以上だった軍幹部には、通常一級が授与される)。

1993年8月20日、北京にて病死。84歳没。

参考文献

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