土鶴鉄道
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土鶴鉄道(どつるてつどう[要出典])は、山陽鉄道(現・山陽本線)土山駅から京都府舞鶴市への鉄道構想。
1892年(明治25年)公布の鉄道敷設法では、京阪神地域から日本海側有数の港湾都市であった舞鶴(当時は舞鶴町および新舞鶴町など)への敷設予定線として、京都府京都市から舞鶴へ至るルートと、兵庫県加古郡(土山付近)から舞鶴へ至るルートの2案が上げられていた。神戸市議会などは土鶴鉄道を検討したが合意には至らず、兵庫県下の政財界は大阪から舞鶴を目指す阪鶴鉄道を推進した。
1895年(明治28年)11月、瓜島福松・中谷清次郎ら52名が資本金100万円にて土鶴鉄道を発起し、山陽鉄道土山駅より国包・小野・社を経て阪鶴鉄道谷川駅に至る31マイルの鉄道敷設を出願[1]したが、1897年(明治30年)2月、鉄道会議により申請が却下された[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b 『日本鉄道史. 中編』 播磨鉄道 702-703頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道局年報. 明治30年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)