鳥居鍗次郎
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
鳥居 鍗次郎(とりい ていじろう、慶応3年9月28日(1866年11月5日) - 大正8年(1919年)5月25日)は、衆議院議員(立憲同志会→憲政会)、弁護士。
経歴
[編集]越後国岩船郡村上本町(現在の新潟県村上市)出身。1888年(明治21年)、英吉利法律学校(現在の中央大学)出身。ついで代言人試験に合格し、弁護士を開業した。1898年(明治31年)、大阪区裁判所検事に転じ、翌年には大阪地方裁判所検事を務めるも、1900年(明治33年)に辞職して、再び新潟市で弁護士業務に従事し、新潟市弁護士会長も務めた。
新潟県会議員、新潟市参事会員を経て、1915年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第2次大隈内閣で内務副参政官を務めた。
その他、新潟県教育会長に就任し、そのかたわら新潟女子工芸学校校長も務めた。
参考文献
[編集]- 村上本町教育会『村上郷土史』村上本町教育会、1931年。