魯勝

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魯 勝(ろ しょう、4世紀初頭ごろ[1])は、中国西晋隠士[1]。『墨子墨弁注釈書(現存しない)の著者として知られる[2]

人物[編集]

晋書』隠逸列伝に伝がある[3]

は叔時[3]山西)の人[4]八王の乱の前に建康令となったが、ある年の元日、望気術中国語版により将来の多故を予知し、病と称して宮廷を去った[4]張華に再仕官を求められたが応じなかった[3][5]

著作[編集]

その著作は世に認められていたが、乱により亡佚した[4]

『正天論』を仕官時に著し[3]天文学上の自説を主張した[2]。また『墨弁』の注[3]、すなわち『墨子』経・経説の注と、『刑名』二篇を著し、墨家名家の絶学を再興しようとしたが、賛同者は現れなかった[1]

『晋書』隠逸列伝に、『正天論』の佚文と『墨弁』注の叙文が伝わる[6][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 森三樹三郎『中国思想史 上』第三文明社〈レグルス文庫〉、1978年。ISBN 978-4476010961。188頁。
  2. ^ a b 幸田露伴『墨子』: - 青空文庫 1929年
  3. ^ a b c d e f ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:晉書/卷094#魯勝
  4. ^ a b c 村上嘉実「<論説>隠逸 : 東晋時代 (思想史特集)」『史林』39(6)、史学研究会 (京都大学文学部内)、1956年、NAID 120006818059。22頁。
  5. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:太平御覽/0015
  6. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:魯勝墨辯注敘