魂の三分説

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魂の三分説(たましいのさんぶんせつ)とは、プラトンが『国家』『パイドロス』『ティマイオス』等で提示[1][2][3]した、人間のプシュケー)を3つの性質に分ける考え方のこと。魂の三区分説魂の三部分説などとも。

構成[編集]

以下の3つから成る。

典拠[編集]

プラトンは、『国家』『パイドロス』『ティマイオス』内で、この魂の三分説に言及している。

まず『国家』の第4巻(434D-441C)では、ソクラテス等が「国家」にとっての「知恵/勇気/節制/正義」(枢要徳) を、「政務(立法)/軍事/商業」の関係性/役割分担によって定義した後、その定義を「個人」へと類比的 (アナロジカル) に適用していくに当たり、「国家」の「政務(立法)/軍事/商業」という3部分に相当するものとして、「個人の魂」を「理知/気概/欲望」の3部分へと分割する形で説明し、初めて魂の三分説が取り上げられる。

こうして国家の国制政体(ポリテイア)を構成する3部分と類比的なものとして喩えられた魂の3部分は、第8巻において、その3部分の関係性が崩壊するに伴って、国家としても、個人の魂としても、その国制・政体(ポリテイア)が崩壊し、堕落していくことになる様を説明するのに用いられた。

続いて第9巻では、まず「正/不正」と「幸/不幸」の関係性を証明していくくだりにおいて、3つ提示される証明の内の2番目の証明(魂の3部分における「快楽」の優劣、580D-581C)において、再び魂の三分説が持ち出される。

  • 理知 - 政務(立法)/哲学者
  • 気概 - 軍事/軍人
  • 欲望 - 商業/商人など

更に、その後の第9巻の末尾において、「正/不正」と「利/害」の関係を論証するくだり(588B-592B)においても、再び魂の三分説が、「理知」を「人間」、「気概」を「ライオン」、「欲望」を「(キマイラ/スキュラ/ケルベロスのような) 多頭の怪物」に喩える形で、持ち出される。

  • 理知 - 人間
  • 気概 - ライオン
  • 欲望 - 多頭の怪物

また、『パイドロス』(246A-256E)においては、3つある挿入話の最後で、ソクラテスが「二頭立て馬車と御者の比喩(馬車の比喩)」を使って、魂の三分説を披露している。

  • 理知 - 御者
  • 気概 - 右の馬
  • 欲望 - 左の馬

また、後期の作品である『ティマイオス』(69C-71A)においても、再び魂の三分説が取り上げられており、父なる創造神デミウルゴスに人間の制作を命令された神々が、人間を制作する際に、魂の不死なる部分で「知性」を司る部分を「頭」に、また魂の死すべき部分の内、「気概」を司る部分を「胸(横隔膜より上)」に、「欲望」を司る獣的部分を「腹(横隔膜と臍の間)」にそれぞれ配置したことが述べられている。(すなわち各々が「脳」「心臓」「胃袋」と結び付けられている。)

  • 理知 - 脳
  • 気概 - 心臓
  • 欲望 - 胃袋

派生概念[編集]

上記の三分説に対応する形で、3つの内、どれを重視するかについての神学哲学心理学上の立場を説明する表現として、

という概念・分類が生まれた。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『国家』第4巻434D-441C, 第9巻580D-581C
  2. ^ 『パイドロス』246A-256E
  3. ^ 『ティマイオス』69C-71A

関連項目[編集]