首尾の松

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首尾の松(しゅびのまつ)は、隅田川西岸の、東京都台東区浅草蔵前に生育している

首尾の松(2017年6月撮影)

概要[編集]

浅草御蔵(「江戸切絵図」のうち「東都浅草図」)

柳橋舟宿から猪牙舟に乗って大川(隅田川)へ出て、山谷吉原遊廓方面)へ向かったところにある、川面に枝をつき出した松をこう呼んだ[1]

御蔵の四番堀と五番堀の間にあり、江戸の名所を記した案内記『江戸名所花暦』では

首尾の松 浅草御蔵の内。 椎木の向、御蔵の川はたの松。川面へさしかゝる松也。これもうれしの森の類にて、あとなくいひならはせし也。

とある[2]。名前の由来は、

  • 吉原帰りの客がこの松の生えている場所で舟を泊め、今宵の遊女との首尾を語り合ったことから[3]
  • これから吉原へ向かう人々がここで首尾を祈った[4]。または、「首尾を果たす松」としゃれて験を担ぎ、ここから舟で吉原へ向かった[5]
  • 松のある辺りに屋根舟を舫いつけ、何か用事をこしらえた船頭が陸に上がっている間に、客が一緒に乗った芸者などと「しっぽり首尾をする」ことから[1]
  • 舟で吉原から帰る際に、この松のある場所で明け方を迎えれば首尾もよいことから[1]

など、諸説ある。

  • 「十をばかり水をこぢると松に成り」 - 柳橋舟宿から猪牙舟に乗って大川(隅田川)へ出ると、左岸の御蔵に首尾の松が見えたことを詠んだ歌。「こぢる」はを押すこと[6]
  • 「名木は水の中から枝を出し」 - 松が河面へ枝を張り出していたことを詠んだ歌[6]

といった川柳も作られた。

松の変遷[編集]

初代の松は、安永年間に風で倒れ、2代目は安政年間に折れた[2]

3代目の松は明治の末に枯れ、4代目は戦災で失われた[2]

蔵前1丁目3番地の蔵前橋畔南側にある松は7代目(1999年3月時点)で、江戸時代に生えていた場所よりも約100メートル川上にある[2]

歌川広重の浮世絵[編集]

歌川広重画『名所江戸百景 浅草川首尾の松 御厩河岸』

歌川広重浮世絵名所江戸百景』にも描かれている。この絵の右に描かれているのが平戸新田藩松浦氏の屋敷で、その先にあるの木の森は「嬉の森(うれしのもり)」と呼ばれる[7]

「松浦邸の椎の木を、嬉の森といふは、吉原通ひの人、舟にて帰るに、此所にて暁なれば、帰るに首尾もよく、嬉しといふより名づけたるなり、向うの岸の松を、首尾の松といふも、これと同じ」(『墨水銷夏録』[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 「首尾の松」三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、67頁。
  2. ^ a b c d 「首尾の松」台東区文化財調査報告書 第24集『蔵前に札差あり - 江戸の金貨からたどる文化史』、9頁。
  3. ^ 【首尾の松】エディキューブ編 『彩色 大江戸事典』双葉社、188頁。
  4. ^ 『名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸』正井泰夫監修 『江戸の地図帳』青春出版社、47頁。
  5. ^ 【首尾の松】『江戸の用語解説』江戸人文研究会編 廣済堂出版、205頁。
  6. ^ a b 三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、39頁。
  7. ^ 三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、39頁、67頁。

参考文献[編集]

座標: 北緯35度42分4.6秒 東経139度47分32.4秒 / 北緯35.701278度 東経139.792333度 / 35.701278; 139.792333