雲麓宮
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雲麓宮 | |
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雲麓宮 | |
各種表記 | |
繁体字: | 雲麓宮 |
簡体字: | 云麓宫 |
拼音: | Yúnlù Gōng |
雲麓宮(うんろくきゅう)は、中華人民共和国湖南省長沙市岳麓山にある道観(道教寺院)である[1]。道教二十三洞真虚福地の一。
歴史
[編集]明代の成化十四年(1478年)吉簡王朱見浚により創建された。当時は洞真観と称した。嘉靖(1522年-1566年)年間、知府孫復と道士李可経は道観を再建した。隆慶(1567年-1572年)に再建された際、関聖殿(前殿)、玄武祖師殿(中殿)、三清殿(後殿)の建立にあたっては、従来通り復元することが求められた。明末、清兵入関の火難で、道観は両度焼き捨てられた。
清代の康熙元年(1662年)、長沙分巡道張睿は道観を再建した。乾隆年間(1736年-1795年)は道観を重修した。咸豊二年(1852年)、道観は戦災で壊された。道光(1821年-1850年)年間、望湘亭が修築されている。同治元年(1862年)、望江亭、五岳殿、天妃殿、宮門を増築した。翌年、武当山太和宮道士の向教輝が資金を募り、全面修復した。
民国三十三年(1944年)、日中戦争の時、雲麓宮は日本軍の戦闘機で爆破された[2]。民国三十五年(1946年)、道士鄔雲開と呉明海が資金を募り全面重建し、翌年に落成した。純陽真人呂洞賓石像を増築した。『百字銘』を撰した。
1957年、地元政府は雲麓宮を修復する。文化大革命の初め、神像、法器は徹底的な破壊に遭い、道士はしかたなく還俗した。1976年、関帝殿を修復。
文化財
[編集]- 漢白玉『麓山樹鐙記碑』
- 『麓峯鞏峙碑』
脚注
[編集]- ^ “岳麓山風景名勝区” (中国語). 中国甘粛網. (2015年11月3日)
- ^ “【最后的胜利】城池守护者:云麓宫前存抗战将士名录(组图)” (中国語). 網易. (2015年8月9日)