陳復昌
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陳復昌 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 진복창 |
漢字: | 陳復昌 |
発音: | チン・ボクチャン |
日本語読み: | ちん・ふくしょう |
陳 復昌(ちん ふくしょう、? - 1563年)は、朝鮮時代中期の文人・政治家。本貫は驪陽陳氏[1]、字は遂初、号は洋谷。
京畿道豊徳の人。陳有蕃の曾孫で、陳錫卿の孫。父は県監・陳義孫。裕福な家で生まれて育った復昌は、幼いころから明晰な頭脳と優れた文章の才能を発揮し、家門の自慢となった。1535年、別試文科の甲科で首席を取り、驪陽陳氏史上最初の状元及第の人物となった。及第以後、正字・典籍などの中央官職を歴任し、外職である富平府使に就いた。明宗が即位した1545年、再び中央官職である正四品・司憲府掌令に任じられ、政界に復帰した。
脚注
[編集]- ^ “(84)여양 진씨(驪陽陳氏)-97,372명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月15日). 2022年8月17日閲覧。