阿部正府
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元禄10年(1697年) |
死没 | 寛延2年6月10日(1749年7月23日) |
別名 | 三十郎、大学(通称) |
官位 | 従五位下・志摩守 |
幕府 | 江戸幕府 使番兼火事場見廻役、小姓組番頭、書院番頭、側衆 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正武、養父:阿部正明 |
兄弟 | 正喬、金助、女(松平正容室)、女(松平光煕室)、正晴、正府 |
妻 | 戸田光直の娘 |
子 | 養子:正韶 |
阿部 正府(あべまさもと)は、江戸時代中期の旗本。側衆。実兄に老中を務めた阿部正喬がいる。
元禄10年(1697年)、武蔵忍藩主阿部正武の四男として生まれる。宝永2年(1705年)9月1日、将軍徳川綱吉にはじめて御目見する。
享保4年(1719年)11月27日、旗本で叔父の阿部正明の養嗣子となり家督を継ぐ。享保9年(1724年)10月9日、使番に列し火事場見廻役を兼任する。同年12月18日、布衣の着用を許可された。享保12年(1726年)3月15日、小姓組番頭に昇進し、同年12月18日に従五位下・志摩守に叙された。享保17年(1732年)3月1日に書院番頭、元文2年(1737年)6月1日に江戸城西丸の側衆となり、延享2年(1745年)9月1日から本丸勤めに異動。
寛延2年(1749年)6月10日、死去。享年53。実子がいなかったため、甥の正韶(正晴の三男)を養嗣子にむかえ家督を継がせた。
参考文献
[編集]- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。