門田康澄

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門田 康澄
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文7年(1538年
死没 文禄4年(1595年
改名 能勢次郎兵衛→門田康澄
別名 新右衛門(通称
主君 長宗我部元親
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門田 康澄(かどた やすずみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。

略歴[編集]

紀伊国根来衆の出身。天正年間(1573年1592年)に土佐国に渡って長宗我部元親に仕え、はじめは能勢次郎兵衛と称した。その後、伊予国の美間郷高森の合戦で功を立てたことにより、長岡郡門田郷を与えられて門田氏と称した[1]

文禄2年(1593年)、病気となり朝鮮の役に参加できず、翌年に58歳で死去した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 山本大小和田哲男『戦国大名家臣団事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日、213頁。ISBN 9784404010766