長田賢一

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長田 賢一(おさだ けんいち)は、日本空道家。宮城県仙台南高等学校東北学院大学経済学部卒。身長180cm。

空手団体大道塾(現在は着衣を前提とした武道「空道」になっている)に所属する元選手であり現在は指導者。

中学時代に東孝率いる極真会館宮城支部へ入門し空手を始める。東の極真会館離脱、大道塾設立に伴い自らも大道塾に身を置いた。 1980年代半ばから90年代前半にかけ、大道塾の北斗旗空手道選手権大会無差別級を幾度も制し、その圧倒的なKO(一本勝ち)率の高さにより「ヒットマン」と呼ばれた。大道塾では安全のためポリカーボネート製のスーパーセーフという面を顔面につけて試合をするが、それを破壊してしまったという逸話も残っている。

伸びのある右正拳突き(右ストレート)を主武器に、打蹴にバランスの取れた攻撃で対戦相手を次々にマットに沈めた。90年代前半に正道会館佐竹雅昭との対戦が熱望されたものの、大道塾と正道会館の関係など諸事情により対戦には至らず、90年代前半に引退。その後しばらくは現役の選手としては活動せず、もっぱら裏方に徹していたが、第一回世界大会後の2002年北斗旗体力別選手権大会で復活。さすがに優勝はならなかったものの、その切れのある打撃はまさに「ヒットマン」のそれであった。

高校時代は陸上競技部で砲丸投の選手としても活躍していた。また、当時不良5人に絡まれ駅裏に消えたが、程なくして一人悠然と戻ってきたという武勇伝も囁かれている。当時の陸上部の部室には135kg分のプレート(バーベルの重り)しかなかった為、長田がベンチプレスをする時はプレートが全て無くなり他の部員が迷惑をしていた。しかし、その肉体はベンチプレスによって鍛えられる大胸筋などよりも、むしろヒッティングマッスルと呼ばれる広背筋が特異な発達を見せていた。

また高校時代、毎朝実家の近くの公園でトレーニングをしていた。麻袋に砂を詰め鉄棒に吊るして、文字通りのサンドバックをつくりトレーニングをするのが日課であった。ある冬の朝、サンドバックが凍っておりそれを知らずいきなり正拳で叩き拳を痛めている。麻袋製サンドバックはその後、パトロール中の警察官に注意され、鉄棒より自分で降ろしている。

現在は大道塾仙台西支部の支部長としても活躍している。

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