金熊寺
金熊寺 | |
---|---|
所在地 | 大阪府泉南市信達金熊寺813 |
位置 | 北緯34度20分19.4秒 東経135度17分17.9秒 / 北緯34.338722度 東経135.288306度座標: 北緯34度20分19.4秒 東経135度17分17.9秒 / 北緯34.338722度 東経135.288306度 |
山号 | 一乗山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 如意輪観音菩薩 |
創建年 | 天武天皇2年(682年) |
開基 | 役行者 |
札所等 |
和泉西国三十三箇所第29番 阪和西国三十三ヶ所観音霊場第29番 |
法人番号 | 8120105007342 |
金熊寺(きんゆうじ)は、大阪府泉南市にある真言宗御室派の寺院。宗教法人名は観音院[1]。
歴史[編集]
天武天皇10年(682年)、役行者が夢のお告げにより、土中より金銅像を得て、自らも木像を刻し、堂を建立して安置したのを起源とする。
寺名は役行者が金峯・熊野の両神を勧請し、当寺の鎮守として信達神社に合祀したことにちなむ[2]。
正安元年(1299年)には永仁の徳政令の煽りを受けて焼き討ちに遭い、諸堂が罹災したが、本尊と薬師堂は焼失から免れたという。
応長2年(1312年)、延元3年(1338年)の修復を重ね、元に近い姿に戻された。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭ったが、信達村の人々によって承応2年(1654年)に再興され、現在に至る。
金熊寺は多くの堂、塔頭を総称する一山であったが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡を継いでいる。
梅林[編集]
金熊寺は古くから泉州の梅の名所として知られ、隣接する信達神社とともに大阪みどりの百選に選定されている[3]。
延宝2年(1647年)、信達神社神主・矢野氏に「この地に梅樹を植えると神領益々隆盛となる」のお告げがあり、矢野氏一族及び土地の人々の手によって栽培された。
明治31年(1898年)に印刷された『泉州金熊寺梅渓全図』によると、根来街道に沿って六尾から桜地蔵付近まで梅林が続いている。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『和泉西国三十三所めぐり ふる里の観音さま』和泉西国会
- 『大阪 御朱印を求めて歩く 札所めぐりルートガイド』大阪歴史文化研究会