金山従革

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金山 従革(かなやま じゅうかく、1864年12月25日(元治元年11月27日[1][2])- 1936年昭和11年)12月12日[1][3])は、明治から昭和初期の実業家政治家衆議院議員富山県中新川郡立山村長。号・七十二峰山人[1]

経歴[編集]

越中国新川郡、のちの富山県[3]上新川郡布倉村(立山村宮路[1]中新川郡立山村[4]を経て現立山町[1]宮路)で、金山半治の長男として生まれた[1][2]。金沢在住のイギリス人・ウィルキンソン家の書生として英語を学び[1]、来日した清国学者・楊守敬に師事して漢学を修めた[1]。その後、石川県立農業講習所(現石川県立翠星高等学校)で学んだ[1]。1901年(明治34年)1月、家督を相続した[2]

1889年(明治22年)布倉村(1894年、立山村に改称)が発足すると初代村長に就任[1]。当初は自邸を役場に提供し、村民の信頼を得た[1]。1917年(大正6年)第13回衆議院議員総選挙の際に郡長と対立し、井上孝哉富山県知事から村長解職命令を受けたが、自発的な辞職願を提出した処理を行った[1]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(富山県第1区、進歩党)で当選し[1][5]、衆議院議員に1期在任[3][4]。この間、保安条例廃止に貢献した[1]。その他、富山県会議員にも在任した[1]

実業界では、富山日報社長、立山製紙社長、立山軽便鉄道取締役、立山鉄道(現富山地方鉄道)専務取締役などを務め[1][2][3][4][6]、地域の産業振興に貢献した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『富山大百科事典 上巻』403頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』か83頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』181頁。
  4. ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』140頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』100頁。
  6. ^ 『人事興信録 第8版』カ112頁。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。