過保護

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過保護(かほご、 excessive care)とは、ある対象を過剰に保護することである。

過保護は、特にこども養育において、必要過多な保護、甘やかしを行う場面が多く、こども自身の自主性を尊重し過ぎ、まともな社会人として巣立つのに必要な躾けをせずに済ますことを指す。日本では、高度経済成長の後に、少産少子社会となっていった1970年昭和45年)前後に使われ始めた用語である。

過保護は、こどもが不快感を示す事に過度に同情し避けさせたり、子供が望むことを好き放題させた結果、自信や自己愛が肥大し過ぎて他者を尊重しない身勝手な人間に育ち、イジメを行ったり欲望を抑えられない為に不良行為に手を染めるケースや独立して家庭を持っても妻子にモラルハラスメントドメスティックバイオレンスなどを行い、却って本人の為にならない結果となる事が多い。

子供にとって「心理的乳離れ」が必要なように親にとっても「子離れ」が必要である。

過干渉と混同されて語られることが多いので、その差異をよく把握しておく必要がある。

現在の「過保護」とその弊害[編集]

  • 近年の児童に対する凶悪事件が報道されるたび、子供を外へ出さなくなる。登下校すら親の運転する車での送迎。
  • 教師や近所の大人に些細なことで注意を受けると過剰に反応し、親が注意をした教師や大人に猛然と抗議する。度が過ぎればモンスター・ペアレント化も。
  • 「過保護親の行動=子供の要望、本心」という誤解
    • 一般的には過保護=甘やかしというイメージが強く[要出典]、過保護親は子供が望むままに行動し、求めるままに与えていると周囲に認識されることが多い。批判の矛先は子供に向かい「自己中心的で苦労知らず」、「親任せで自分の意思が無い」、「親抜きでは自分の意見を言えない」と評され人物評価や人間関係に多大な悪影響を及ぼす。特に「本音は親任せ」というイメージの定着[要出典]は深刻で、子供が自分から口にした意見は誰からも信用されなくなり、親の言い分の方だけが「本音」として聞き入れられてしまうようになる。明確な反抗や自立の意思を示しても、親不孝者としてかえって親の味方を増やすだけである。

関連項目[編集]

脚注[編集]