谷口重政

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谷口 重政
時代 江戸時代
別名 仁兵衛
氏族 谷口氏
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谷口 重政(たにぐち しげまさ)は、江戸時代初期の武士陸奥の大名津軽氏の家臣。

経歴[編集]

京都の出身。慶長15年(1610年)、弘前藩津軽信枚の目に留まり、200石で津軽家に仕官した。翌年、弘前城の築城の際には竿奉行となる。その後も、慶長19年(1614年)、大坂の陣出陣の為、箱根の関所での通過交渉や寛永4年(1627年)の弘前城への落雷後の石垣修築の奉行、寛永5年(1628年)百沢山門の建築の際には作事奉行を務めるなどした。

谷口氏について[編集]

「津軽弘前城史」の城内絵図に西の郭柳川調興屋敷の隣に「谷口清兵衛」の屋敷が見える。また、「弘藩明治一統志」宝暦五乙亥年御家中屋舗改大帳」などは3軒、「明治二年弘前絵図」には2軒の谷口家が確認される。弘前市出身の書家谷口英堂は子孫とされる。直系の子孫は愛知県長久手市住谷口真潮(15代)。

参考文献[編集]

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社
  • 「津軽弘前城史」 1973年、名著出版