譚慶林

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譚慶林
プロフィール
出生: 1878年光緒4年)
死去: 不詳
出身地: 山東省泰安府泰安県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 譚慶林
簡体字 谭庆林
拼音 Tán Qìnglín
ラテン字 T'an Ch'ing-lin
和名表記: たん けいりん
発音転記: タン チンリン
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譚 慶林(たん けいりん)は中華民国の軍人。北京政府直隷派に属した。英甫

事跡[編集]

直隷口北鎮守使兼察哈爾軍務幇弁をつとめた。1922年民国11年)5月に一時的ながら、察哈爾都統を護理(下級の職位の者が上位の職務を代行すること)した。1924年(民国13年)の第2次奉直戦争では、直隷派として討逆援軍第10路司令、討逆軍独立騎兵前敵総指揮となる。しかし、直隷派は奉天派に敗北し、譚慶林は1926年(民国15年)に山西省閻錫山に投降した。

この結果、譚慶林もまた、閻錫山に随従して国民政府に付くことになる。1927年(民国16年)7月に国民革命軍第8軍軍長に任命された。その後、国民政府軍事委員会委員、軍事参議院参議を歴任する。1935年(民国24年)1月、陸軍中将銜を授与された。

しかしこれを最後に、譚慶林のそれ以降の動向は不詳となる。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
張景恵
察哈爾都統(護理)
1922年5月
次代
張錫元