諸井四郎

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諸井 四郎(もろい しろう、1869年明治2年) - 1954年昭和29年))は、武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)出身の、明治期から昭和期にかけての日本の実業家。

生い立ち[編集]

中山道で最大の宿場町であった本庄宿(明治22年に児玉郡本庄町となる)の出身。東諸井家10代目当主である諸井泉衛の四男として生まれた(7人兄弟で、姉が2人)。次兄で東諸井家11代目当主となった恒平秩父セメント会社の創設者(その長男・貫一経団連の創設者)で、三兄・時三郎(春畦)も実業家にして書道の大家(春洞門七福神の一人)、さらに弟・六郎陸奥条約改正に尽力した外交官であった。東諸井家は日本の近代化に貢献した一族であり、四郎を含め、兄弟たちは渋沢栄一と親類関係に当たる。

略歴[編集]

1900年(明治33年)に東京帝国大学を卒業し、京釜鉄道会社に入社、会計課長となるが、鉄道の国有化にともない退社する(1908年)。東亜製粉会社を組織し、社長に就任するも、1925年(大正14年)、日本製粉会社と合併して、この会社は消失する。その後、西武鉄道会社、秩父鉄道会社、東京毛織会社の取締役を兼務し、1933年(昭和8年)に日本煉瓦製造会社専務取締役となり、兄である恒平の没後、同会長となる。85歳で没し、墓所は埼玉県の安養院

その他[編集]

  • 兄弟の中でも最も長く生きた四郎は、弟である六郎の没後、六郎の性格について色々と語っている。

参考文献[編集]

  • 『本庄人物事典』
  • 諸井忠一著 『諸井六郎君追悼遺芳録』