諏訪頼常
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諏訪 頼常(すわ よりつね、寛永17年9月22日(1640年11月5日) - 寛文6年5月23日(1666年6月25日))は江戸時代の旗本。通称は長次郎、右衛門太郎、求馬、主米介。
甲府徳川家家老諏訪頼郷の次男。母は内藤政長の養女(正木康盛の娘)。子に頼篤。
万治3年(1660年)6月23日、将軍徳川家綱に拝謁する。寛文元年(1661年)11月21日に父の頼郷から武蔵国本庄領・上野国藤岡領のうち500石を分知され、寄合に列する。寛文6年(1666年)死去。享年27。法名は照然。麻布の春桃院に葬られた。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第352」
- 「諏訪家譜」(『諏訪史料叢書』巻27)