諏訪神社 (中津川市茄子川)

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坂本神社諏訪社

地図
所在地 岐阜県中津川市茄子川1792-1
位置 北緯35度27分28秒 東経137度27分29秒 / 北緯35.45786度 東経137.45803度 / 35.45786; 137.45803座標: 北緯35度27分28秒 東経137度27分29秒 / 北緯35.45786度 東経137.45803度 / 35.45786; 137.45803
主祭神 建御名方神
社格 式内小社
創建 大宝2年(702年
例祭 10月第3日曜日
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坂本神社諏訪社(さかもとじんじゃ すわしゃ)は、岐阜県中津川市茄子川に鎮座する神社

式内社における坂本神社とされる。

祭神[編集]

歴史[編集]

信濃国諏訪大社から勧請され創建された神社である。

美濃国式内社の坂本神社とは、この「坂本神社諏訪社」の他に、「坂本神社八幡宮」が推定されている。

坂本神社八幡宮の沿革によると、坂本神社の創建は大宝2年(702年)と伝わる。

坂本神社は南北朝時代延文2年(1357年)に、野火により社殿が焼失したため、

「坂本神社諏訪社」が現在地に移転鎮座したとされる。

元々は「坂本神社八幡宮」の地に坂本神社が鎮座していたのが焼失したため、移転遷座したのが「坂本神社諏訪社」で、

元の坂本神社の地に再建されたのが「坂本神社八幡宮」という説もある。

天正2年(1574年)に武田勝頼が率いる軍勢が東濃に侵攻した際に、坂本神社八幡宮を含む恵那郡の寺社を悉く焼討し破壊したが、坂本神社諏訪社が焼討されたという記録や伝承は共に無い。

その理由は、武田氏の軍神が諏訪大明神であり、勝頼は母方が諏訪大社の大祝であった諏訪氏であったこと。勝頼自身も武田氏を相続するまでは、諏訪勝頼と称していたことにあると考えられる。

明治時代初期に、坂本神社とは、諏訪神社なのか、それとも八幡神社なのかということを論争されたが、結論が出なかったため、両社とも坂本神社の名前は使用しないで、「諏訪神社」「八幡神社」を正式名とすることとなった。

現在は、通称として諏訪神社は「坂本神社諏訪社」、八幡神社は「坂本神社八幡宮」と称されている。

交通機関[編集]

参考文献[編集]

  • 『中津川市史』 中巻Ⅱ 第五編 近世(二) 第八章  寺社 第一節  神社 一、古代の神社 p1583~p1587 中津川市 1988年
  • 『中津川市史』 中巻Ⅱ 第五編 近世(二) 第八章  寺社 第一節  神社 二、中世の神社 p1587~p1592 中津川市 1988年
  • 『恵那郡史』 第三篇  平安時代(中古後期) 第十二章 神社・佛敎 坂本神社 p74 恵那郡教育会  1926年

脚注[編集]