藤原広基

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藤原広基
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳
死没 貞観17年6月29日875年8月4日
官位 従四位上神祇伯
主君 文徳天皇清和天皇
氏族 藤原南家巨勢麻呂流
父母 父:藤原助川、母:藤原今河の娘
兄弟 諸成広基
住吉豊継の娘
公門
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藤原 広基(ふじわら の ひろもと)は、平安時代初期から前期にかけての貴族藤原南家巨勢麻呂流、正六位上・藤原助川の子。官位従四位上神祇伯

経歴[編集]

文徳朝仁寿4年(854年従五位下春宮大進に叙任され、皇太子・惟仁親王に仕える。天安2年(858年)9月右馬助右兵衛佐を経て、同年11月の惟仁親王の即位(清和天皇)に伴い、右衛門権佐に任ぜられる。

その後は貞観元年(859年)従五位上、貞観6年(864年正五位下、貞観9年(867年従四位下と、かつ春宮大進として仕えた清和天皇代の前半に順調に昇進する一方、三河権守摂津権守播磨権守と地方官も兼ねた。

貞観11年(869年神祇伯に転じ、貞観12年(870年)には長雨を止める祈願を行うために賀茂神社[1]、貞観14年(872年)には内外に頻繁に怪異が現れたことから奉幣を行うために稲荷社に派遣されている[2]

貞観17年(875年)6月29日卒去。最終官位は従四位上行神祇伯兼伊予権守

官歴[編集]

六国史』による。

系譜[編集]

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原助川
  • 母:藤原今河の娘
  • 妻:住吉豊継の娘
    • 男子:藤原公門

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観12年6月22日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観14年3月23日条

出典[編集]