菅原雅兼
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基本情報 | |
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本名 | 菅原 雅兼 |
階級 | スーパーバンタム級 |
身長 | 172cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1974年8月1日(50歳) |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 22 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 3 |
引き分け | 4 |
菅原 雅兼(すがわら まさかず、男性、1974年8月1日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロボクサー。第33代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。松田ボクシングジム所属。大和哲也のボクシングトレーナー
来歴
[編集]アマチュアで49勝(25RSC)11敗の成績を残した後、1996年7月2日に2ラウンドKO勝ちでプロデビュー。 しかし2戦目でKO負け、3戦目で負傷引き分け。その後しばらくは勝利を重ねるが、 9戦目で後の日本スーパー・フェザー級王者キンジ天野こと天野欽二に判定負けを喫すると、 以降は2試合連続ドローと、必ずしも順風満帆なスタートではなかった。
地道にキャリアを積むことで実力を付け、徐々にジムの有力選手としての存在感を増していく。 8連勝の後1引き分けを挟み、2002年11月24日、当時日本人選手相手に無敵を誇り「日本人キラー」と 呼ばれていた東洋太平洋バンタム級王者ジェス・マーカとのノンタイトル戦に臨む。 結果は僅差の判定勝ちであったが、それは疑問の残る判定によるもので、勝者であるはずの菅原が悔し涙を流す結果となった[1]。
マーカ戦以降も勝利を続け、2005年2月20日、国見泰央を判定に下して東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得。2005年6月26日、ウェタヤ・サクムアンクランを迎えた初防衛戦で、 3ラウンドTKO負けにより王座を失う。その試合を最後に現役引退。
現在は、名古屋市内にあるフィットネスボクシングクラブ「マルゲリータ」の会長を務める。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ ベースボールマガジン社刊「ボクシングマガジン」2003年1月号、P49&P69
関連項目
[編集]前王者 國見泰央 |
第33代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者 2005年2月20日 - 2005年6月26日 |
次王者 ウェタヤ・サクムアンクラン |
参考文献
[編集]- ベースボールマガジン社刊「ボクシングマガジン」2003年1月号。P49、P69。