胤栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
『つきの発明』(月岡芳年『月百姿』)胤栄は三日月形の槍を開発したという

胤栄(いんえい、大永元年(1521年) - 慶長12年8月26日1607年10月16日))[1]は、安土桃山時代興福寺衆(僧兵)・武術家。覚禅坊。興福寺子院の宝蔵院(寶藏院)の院主。

それまでの素中心の槍術に対し、十文字槍を使用した[要出典]宝蔵院流槍術を始めた[1]柳生宗厳の薦めでともに[要出典]上泉信綱の弟子となり新陰流剣術を学び、槍術を大膳大夫盛忠に学ぶ[1]など、多くの師に付いたと伝えられるが、中でも天真正伝香取神道流大西木春見の影響が強く表れている。素槍に比べ槍としての攻防を多様にする十文字鎌槍の創始は当時の槍術には画期的なものであった。

晩年は僧侶が殺生を教える矛盾を悟り槍術から離れ、全ての武具は高弟の中村尚政に与え、僧としての活動を主にした。二代目を胤舜が継いだ。他の門弟には下石三正礒野信元がいる。1607年死去。享年87。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 総合仏教大辞典編集委員会(編) 『総合仏教大辞典』上巻、法蔵館、1988年1月、65頁。

関連項目[編集]

漫画[編集]

外部リンク[編集]