肥富

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肥富(こいつみ / こいとみ / こいどみ、生没年不詳)は、室町時代に活躍した商人

経歴・人物[編集]

安芸国小早川氏の一族小泉氏の子(推定)として生まれる。これに由来して「肥富」と名乗り、当時室町幕府将軍であった足利義満に仕えた事により、1401年応永8年)に祖阿と共に最初の遣明使の副使としてに渡った。

日本准三后某、書を大明皇帝陛下に上る。日本国は開闢以来、聘問を上邦に通ぜざることなし。某幸に国鈞を秉り、海内虞なし。特に往古の規法に遵いて、肥富をして祖阿に相副え、好みを通じ、方物を献ぜしむ。(中略)海島に漂寄せる者幾許人を捜し尋ねてこれを還す。某誠惶誠恐、頓首頓首、謹言。
応永八年五月十三日 — 『善隣国宝記

帰国後博多に移り、勘合貿易の活性化に携わる等、日本と明の関係の向上に貢献した。また、博多で商業を経営した事がきっかけで「博多商人」としても知られたことで有名となった。

出典[編集]