羽石架苗
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名前 | ||||||||||||||
カタカナ | ハネイシ カナエ | |||||||||||||
ラテン文字 | HANEISHI Kanae | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||
生年月日 | 1978年5月16日(46歳) | |||||||||||||
出身地 | 神奈川県 | |||||||||||||
身長 | 158cm | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | DF、MF | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||||||||||
1992- 1994-1996 -2000 2001-200? 2003- |
FCすすき野レディース 宇都宮女子高校 ジェフ市原レディース クリスチャン・ブラザーズ大学 ニューヨーク・マジック |
10 (0) x (x) | ||||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2005-2007 2007- |
スミス大学(アシスタントコーチ) ウェスタン・ユナイテッドU-17, 18 マウント・ホリヨーク大 | |||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2010年3月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
羽石 架苗(はねいし かなえ、1978年5月16日 - )は、神奈川県出身の女子サッカー選手・指導者である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。
経歴
[編集]日本時代
[編集]神奈川県内のクラブチーム、FCすすき野レディースで中学2年よりサッカーを始める。栃木県立宇都宮女子高等学校を卒業後順天堂大学に入学。在学中に当時関東女子サッカーリーグ所属のジェフユナイテッド市原レディースに入団し、リーグ戦の他関東女子サッカー選手権大会 (皇后杯全日本女子サッカー選手権大会の関東地区代表決定戦) に出場した。2000年、大学4年時に市原レディースはL・リーグに参入した。羽石は10試合 (リーグ戦全試合) に出場したが、同年度終了後に退団した。
NCAA〜Wリーグ時代
[編集]羽石はNCAA3部に女子サッカー部が所属する大学への留学経験を経て[1]、 2001年、テネシー州所在のクリスチャン・ブラザーズ大学に入学し、女子サッカー部に入部した。同年のNCAA2部でガルフ・サウス・カンファレンス優勝を経験して優勝決定戦に進出したが、カリフォルニア大学サンディエゴ校に0-2の結果で敗北し、同シーズンを準優勝の結果で終えた。シーズン終了後、羽石は3人のチームメイトと共に2部のオースターチームに選出された[2]。同年USL Wリーグでもプレーしたが、半月板を損傷して3ヶ月プレーから遠ざかった[1]。
2002年シーズンはカンファレンスでの優勝の末、優勝決定戦に進出。ネブラスカ大学オマハ校との試合を2-1で勝利して、クリスチャン・ブラザーズ大学はNCAA2部全米チャンピオンとなった。シーズン終了後に羽石は2部の最優秀守備系選手に選出された[3][4]。 2003年にニューヨーク・マジックに移籍。同年夏には韓国・大邱広域市で開催されたユニバーシアードに出場する日本代表に選出されて韓国に遠征、大会準優勝を経験した[5][6]。
ニューヨークでは2005年度シーズンにイースタン・カンファレンスのノースイースト・ディヴィジョン5位となりプレーオフ進出を決めたが、第1戦でボストン・レネゲイズ相手に0-4のスコアで敗退した。なお現在はチームキャプテンを務めている。
指導者・研究者として
[編集]クリスチャン・ブラザーズ大学を卒業後、羽石はテネシー州メンフィス所在のメンフィス大学大学院に入学し、2005年に修士号を取得した。
同年マサチューセッツ州へ移り、ノーサンプトン所在のスミス大学大学院に入学。同時に同大女子サッカー部アシスタントコーチ、および州内クラブチームのウェスタン・ユナイテッドU-17およびU-18チームのヘッドコーチに就任し、サッカー選手・サッカー指導者・大学院生を掛け持ちする生活に入った。
2007年に2つ目の修士号を取得した羽石は、マサチューセッツ大学アマースト校大学院の博士課程に入学した。同時に同州サウス・ハドレー所在のマウント・ホリヨーク・カレッジに講師兼女子サッカー部監督として着任し、体育教育学を教える傍ら、サッカー部で指導に当たるようになった。2010年2月現在現在同大に在籍中である。
日米女子サッカーの架け橋
[編集]羽石はサッカー選手・研究者として活動する傍ら、日本の選手向けに他国 (特にアメリカ) の女子サッカーを紹介する活動を行っていた小林美由紀と共同で、2004年にBRIDGE[要曖昧さ回避]を設立した。この組織は、小林が行ってきたアメリカ (BRIDGE設立後イタリアが加わった) 女子サッカー視察・観戦ツアーのコーディネートやアメリカ女子サッカー情報の発信に加え、アメリカの大学に留学して大学サッカーでプレーを希望する女子サッカー選手向けの留学コーディネートも行っている。
成績
[編集]出場記録
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
タイトル
[編集]- クリスチャン・ブラザーズ大学
- NCAA2部ガルフ・サウス・カンファレンス優勝: 2回 (2001年、2002年)
- NCAA2部全米チャンピオン: 1回 (2002年)
選出歴等
[編集]- 代表
- ユニバーシアードサッカー日本女子代表 (2003年、ユニバーシアード大邱大会出場)
脚注
[編集]- ^ a b “WHAT'S BRIDGE 運営メンバー”. BRIDGE公式サイト. 2010-03-01 01:38 (UTC)閲覧。
- ^ “NCAA Women's Soccer Division II All-Tournament Teams” (英語). hickoksports.com. 2010-03-01 01:26 (UTC)閲覧。
- ^ “NCAA Women's Soccer Division II Most Outstanding Players” (英語). hickoksports.com. 2010-03-01 01:26 (UTC)閲覧。
- ^ “NCAA Soccer Division II History” (PDF) (英語). NCAA公式サイト. 2010-03-01 01:32 (UTC)閲覧。
- ^ “Summer Universiade Daegu 2003 Football Medalist and Match Report” (PDF) (英語). 国際大学スポーツ連盟公式サイト. 2010-03-01 01:54 (UTC)閲覧。
- ^ 女子サッカーは北朝鮮に惜敗。銀メダル獲得! コマスポ (駒澤大学スポーツ新聞編集部) 2003年8月30日付記事。
外部リンク
[編集]- 女子サッカー日記 (公式ブログ)
- ニューヨーク・マジックの選手一覧ページ (英語)
- マウント・ホリヨーク・カレッジのプロフィール (英語)
- Twitter 羽石架苗公式ページ (英語)
- BRIDGE