米子製鋼
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒689-3541 鳥取県米子市富益町88番地1 北緯35度28分45.7秒 東経133度17分5.33秒 / 北緯35.479361度 東経133.2848139度座標: 北緯35度28分45.7秒 東経133度17分5.33秒 / 北緯35.479361度 東経133.2848139度 |
設立 | 1985年(1904年創業) |
業種 | 鉄鋼 |
法人番号 | 9270001003719 |
事業内容 | 鉄素形材製造業 |
代表者 | 井上昭彦(代表取締役) |
資本金 | 1億円 |
従業員数 | 176名[1] |
主要株主 | パシフィックソーワ |
関係する人物 | |
外部リンク | http://yonago.co.jp/index.html |
米子製鋼株式会社(よなごせいこう)は鳥取県米子市に本社を置く、普通鋼から低合金鋼、高マンガン鋼、スーパー二相ステンレス鋼(SDSS)に至るまでの鋼を鋳鋼用に溶解精錬[5]する大平洋金属グループの鉄鋼メーカーである。
概説
[編集]広島鉱山が1904年に払下げとなり、合資組織になった[6][7]。1905年に合資会社米子製鋼所と改称、鳩印坩堝鋼の製造を始めたが、これがわが国民間坩堝鋼の開祖であり、製品の優良なことは普ねく人の知る所だった[7]。1917年に株式会社米子製鋼所と改称する[6]。
1919年に電気炉を新設、特殊鋼の外に鋳鋼の生産を併せて開始する[6]。
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沿革
[編集]- 1904年 - 坂口平兵衛が稲田秀太郎と共同で官営広島鉱山の払下を受け[8]、広島鉱山合資会社を設立し、木炭、銑鉄及び特殊鋼の製造を行う[9]。
- 1905年 - 合資会社米子製鋼所と改称し、鳩印坩堝鋼の製造を始める[9]。これが我国坩堝鋼の始まりであり、以来特殊鋼の生産に専念する[9]。
- 1917年 - 株式会社米子製鋼所と改組[8][9]。
- 1938年 - 日本曹達株式会社と合併[9]。
- 1949年 - 日本曹達株式会社から分離し、日曹製鋼株式会社と改称[9]。
- 1957年 - 日曹製鋼株式会社(現・大平洋金属)から分離し、株式会社米子製鋼所と改称[9]。
- 1985年 - 大平洋金属グループの全額出資により、株式会社米子製鋼所の資産買収並びに営業権の譲渡を受け、米子製鋼株式会社を設立[9]。
役員
[編集]『日本全国諸会社役員録 第27回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第32回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第39回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第43回』
[編集]脚注
[編集]- ^ “とっとり企業ガイド”. (財)ふるさと鳥取県定住機構. 2017年8月11日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第27回』鳥取県 下編376頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本全国諸会社役員録 第39回』鳥取県 下編389頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録 第43回』鳥取県 下編395頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月9日閲覧。
- ^ “トップページ”. 公式サイト. 2017年8月11日閲覧。http://yonago.co.jp/index.html
- ^ a b c 『鳥取県大鑑』198 - 199頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月15日閲覧。
- ^ a b 『化学工業財閥の新研究』379 - 383頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月15日閲覧。
- ^ a b 『日本の地方財閥30家 知られざる経済名門』217 - 220頁。
- ^ a b c d e f g h 沿革、米子製鋼株式会社公式サイト。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第32回』鳥取県 下編452頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第27回』商業興信所、1919年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第32回』商業興信所、1924年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第39回』商業興信所、1931年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 中外産業調査会編『化学工業財閥の新研究』中外産業調査会編、1938年。
- 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
- 菊地浩之『日本の地方財閥30家 知られざる経済名門』平凡社、2012年。